イベント詳細情報

第7回HT東京・羽村スタディ・グループ

 開催日時
2019年01月05日 13:10〜2019年01月05日 16:30
レポート/感想

<第7回報告書>平成31(2019年)年1月28日(1月5日開催)

天気:快晴。
  
総参加数:8名(内1人遅れて参加) 。

1.自己紹介:名前、居住地、出身地、趣味、今年の目標は?


野川:正月3日、ソウルメイトと共に多摩川の上流をドライブし、恒例の新年祈願をして来た。
12時頃、人気がない適当な川辺を見つけて、そこに座布団を敷き太陽が燦々と輝く中、私達は別々に瞑想を始めた。
自分の内側に意識を向けていると、最初に浮かんだ思いが、去年暮れから始めたボランティアのカウンセリング(共感的傾聴術)を、1年やり通す事だった。
続いて、声に出して“10年後に何をしているかなあ”と独り言を言っていたら、“そうだ、10年後も私の勉強会を続けていよう!”と思った。
さらに内側に問いかけ続けていると、次の案が浮かんだ。
それは、他の「神対」の勉強会に出来るだけ参加する一方、「神対」とは違うスピリチュアルな視点の勉強会にも積極的に参加しよう。
そうする事で、「神対」とは一味違う考えや意見を取り入れてみようと思った。
時間にして約1時間の瞑想だったが、その間落ち着いる自分、穏やかな自分がいた。
ただ、意識の変容は起きなかった。

Aさん:私は目標を立てるのではなく、自分が行きたい方向や、やりたい事の方向性を決めるようにしています。
こうなるんだという目標を持つのは、私にとってはもう古い意識的な方法です。
何故かというと、目標を立てると執着が出てきます。
特に具体的な目標を立てると、それを何としてもやり遂げなければいけないと焦り始め、心に余裕がなくなってしまう。
するともっと大切な、人生そのものを楽しむ事が出来なくなります。
だから新しい意識の在り方が大切になると考えます。
つまり目標を立てるのではなく、自分がどの方向に行きたいのか?何をしたいのか?とそれだけを決めます。
そうすれば、そこへ行く過程を楽しむ事が出来るからです。
逆に目標を設定し、上限という天井を決めてしまうと、それ以上には行けなくなったり、目標以外の目標を全て捨てる事にも繋がります。
それ故、方向性だけ決める事でチャンスを見逃す事もなく、気持ち良く目的地に辿り着く事が出来ると思います。

これは私の強い信念ですが、私達は目標を達成する為にこの惑星に転生したのではなく、私達が自分達自身である事を楽しみ、喜び、体験し、分かち合う為に来たのだと考えています。
そういう意味でも、私は特定の目標を立てません。
方向性だけを決め、その時その一瞬を楽しむ事に集中して生きたいと思います。
そこで、私の結論はこうです。
今を味わい切ります!今を心地良い気分で過ごします!今をご機嫌さんでいます!そうすれば、必要なときに必要なシンクロニシティ(共時性)が起きるでしょう。
そうすれば、単なる小さな自我の目標ではなく、私達の本質である魂が望んだ最高の目標に、最短距離で到達する事が出来ると私は信じています(Aさんの投稿文+野川の編集)。

Bさん: 今年1年は“自分と向き合う、あるいは自分と会話をする”事を主に過ごしていきたいと思います。
またそれと並行して、もっと「神対」を何回も読み返し、理解を深めていきたいとも考えています。
過去、私は何十年もキリスト教を学び、そこで“物事を自分で考えるな、神を信じなさい”と言われ続け、私はその教えを忠実に守ってきました。
長い期間、そのような姿勢で生きてきたので、日常生活で無意識に行動していると、知らぬ間にその教えが私の思考を虜にしてしまいます。
それ故、今年は常にその点に気を付けて、意識的に生きる事を目指したいと思います。

Dさん:初詣は特に特定の場所には出かけなかったのですが、妻とドライブしている時、たまたま高幡不動の前を通り五重の塔を見て、京都らしくていいなと思い立ち寄って祈願してきました。

 ところで私が退職して丁度半年が過ぎました。
働いていた時には、どうしても仕事を優先する事で時間に追われ、やりかけていた運動やしたかった事柄に手が回らず、それらが、中途半端に残ったままの状態になっていました。
そこで今年は早い内に、少し物事を整理し軌道修正し、新たなプランを練り直そうと考えています。

Eさん:今年に限らず、ずっと意識して来た事ですが、目の前の出来事がどんな状況であっても、自分の意識の波動を落とさない事です。
そして喜びや楽しさ、自分が本当にやりたい事を選択し続ける。
それが即、自分の意識の波動を上げて、自分の一番良い結果に繋がると感じています。
このような姿勢で生き抜く事を基に、日々一瞬一瞬、どんな状況にも関わらず、意識的に過ごして、自分の望む人生を創り上げていきたいと考えています。

Gさん:「神対」には約20年前に出合い、それ以来とても大切な書物の一つになっています。
この勉強会には約4年ぶりの参加となります。
去年の10月に「神対・完結編」が出て、その内容に新たな刺激を受けました。
自分の目標として、聖書を始め、読み返したい沢山の本を読了する事です。
「神対シリーズ」は、ニールさん―敬虔なるクリスチャン―を通して書かれた書物で、聖書の教えがベースになっています。
だからか、私達日本人には少し違った感覚を持ちます。
聖書の文化圏の人達にとって理解出来る奥深いニュアンスが、私達には掴み切れないところがあります。
そこで私はどうしても聖書を一度読み通さなければいけないという気持ちになり、約15年前に旧約と新約が含まれた分厚い聖書を買いました。
ところが旧約聖書を読み始めて半分くらいの所で、大挫折してしました。
文面に沢山のカタカナが溢れるほど現れて、どうしても内容の意味が頭に入ってきませんでした。
仕事と読書の同時進行は難しく感じ、半年ほどリフレッシュしようと思い立ち、去年の7月に仕事を辞めました。
この機会にその全てを読み返す事で、頭の中を整理しようと思いました。
そして去年の11月始めに新約聖書を読み始めました。
朝早く起きて、頭がすっきりする時間に集中して、一日10ページ、調子の上がらない時は5ページ程度を読み続け、同月末頃、無事読み終えました。
そして今また旧約聖書を取り出し、前回挫折したところから再度挑戦しているところです。
私としては、一応“聖書を一通り全部自分の中に入れたぞ”って感じるところまでやり終えたいと考えています。

2.今月のテーマ:「小さな魂と太陽」を読み終わった後の感想や質疑応答。


状況の説明:今回はテーマである物語「小さな魂と太陽」に関して、2つの資料を用意した。
一つは、ニールさんが神と共に子供向けに創作した、「小さな魂と太陽のフォトブック(写真入り本)」で二冊、もう一つは、大人用でコピーした前半部分(「神対@P.66」)と後半部分(「神対BP.421〜423」)で三部用意。
この2種類の「小さな魂と太陽」の内容はほぼ同じですが、会話の雰囲気が違います。
7人の参加者の内最初の4人が好きな役柄を選択し、二人一組で一冊ずつ本を持ち、それぞれ神様、小さな魂、ナレーター、そして友情溢れる魂の役を演じ読み上げた。
そして残りの3人が、用意したコピーを、3つの部分に分けて読み上げた(2冊のフォトブックは、Gさんからの寄贈)。

Aさん:感想です。
今2つの物語を聞いたのですが、受けるニュアンスがかなり違いました。
子供向けの物語の方が、メルヘンチックで夢があり、読んでいて楽しかったです。
それに、友情溢れる魂が女の子として登場するので、雰囲気に柔らかさが出て印象が全然変わりました(大人向けは男の子が登場)。

Bさん:質問1.言葉の意味についての質問です。
物語の中で、“新しい魂”とはどんな魂でしょうか?また仮に一度赦しを経験すると、 二度目はもうしなくて良いのでしょうか?
野川:私の解釈です。
神様は一度に全ての魂を創られたので、まったく新しい魂はいません。
ただ、輪廻転生を重ねる中で、個々人が経験する生命/人生の理解は違うので、そういう意味で、老いた魂(経験の深い)と若い魂(経験の浅い)はあると考えています。

 また赦しの質問ですが、誰かが私達に何かをしなさい、と命令したり強制する存在はいません。
神様は自由で平等で喜びで、善悪の判断をしません。
また善悪自体がありません。
だから全て私達が選択し決定します。
もしBさんが一回目の赦しの経験で、何かやり残した思いがあり、それをもう一回体験したいと感じたら、神様に希望すれば叶えられます。
そして、誰かと約束の基に、この地球に降りてくるでしょう。
全てが、100%私達の選択で物事が進みます。
だから基本的に、あの世とこの世の仕組みは同じ原理で動いていると思います。

野川:質問2.大人用の「小さな魂と太陽」の「神対B」の中で、次の文章はどういう体験・経験を具体的に言っているのでしょうか?それは“神性のどんな部分を体験したいのかな?”“それぞれが、神の最も偉大な部分を体験しようとみんなで決めているんだ”“神の神性な側面の全てを経験出来る”です。

Cさん:小さな魂が望んでいる、赦しという体験ではないでしょうか?(はい、賛成です。
他にはないでしょうか?…野川)
Dさん:普通に言えば、愛でしょう。
神の愛です。
(はい、賛成です。
でも、もう少し具体的に説明出来ませんか?例えば愛とは、人生の中でどんな表現でしょうか?…野川)
Aさん:神の偉大な性質・特質を全て体験する事だと思います。
具体的には、愛・自由・喜び・光・無限・優しさ・思いやり・繊細さ・慈しみ・平和・調和・共感・勇気・正直・誠実・理解・寛大等々です。
この部分の、全体験だと思います。

野川:質問3.では、憎しみはどうでしょうか?嫉妬やいじめは?いわゆる否定的な感情は、上記部分に含まれるのでしょうか?
Dさん:私はそれら全てを含めて、愛だと思います。
否定の感情は、本当の私である感情や思いに気付いて体験する為に、便宜上に創られた手段・方法だと思います。

 ところで、世の中で起こる良い事や悪い事を理解し受け入れ人生を豊かに創っていくには、沢山の経験や年数を重ねないとなかなか分かりません。
例えば有名な元ボクサー、モハメドアリは、ボクシング界で世界の頂点に立ち、富と名声を獲得しました。
そんな勢いのある彼がある日町を歩いていたら、古びたレストランのテラスで、くたびれた老人がコーヒーを飲みながらチェスをしている光景を見ました。
その様子を見た彼は“なんて退屈でつまらない人生を送っているのだろう!”と冷たい視線を送りました。
何年か経ち、彼はボクシング界を引退し、長年の脳の打撲などにより重いパーキンソン病に罹り、言語障害も起こし、人の世話を受けなければ生きていけなくなりました。
その時、彼は昔の光景を思い出しました。
“あの老人の人生は無駄なストレスがなく、緩やかな時間の流れに身を任せて、なんて幸せだったんだろう”と。
つまり、時間と共に沢山の人生経験を通して、人は愛の大切さに気付き実感するものです。
そして、その“愛は全ての感情の総和である”という定義からしても、否定の感情も含まれていると思います。

野川:確かに“愛(神)は全ての感情の総和である” という定義に基づけば、全ての肯定・否定の感情が含まれます。
一方神は、相対性(二極性)のシステムも、幻想として創造しました。
目的は、本当の自分を知る為には、本当の自分でないものが存在しないと経験出来ないからです。
そこで神は、愛と不安という二つの感情を創りました。
ここで大切な事は、愛という実在する感情を経験する為に、幻想として不安という感情を意図的に創った事です。
幻想なので、不安の感情は実在しません。

ところで究極の現実(神のエッセンス・神性)は、全てが一つの領域・分離のない領域・絶対的愛であり、そこには相対性で創られた不安は含まれません。
ただ愛のみ、喜びのみ、光のみの領域だと考えます。

 私は、ニールさんと神様のやりとりで、次のような会話を思い出します。
“あなたと話していると、質問への答えが不明で時々イライラします。
”“では、今あなたはイライラしている状態なんだね。
”“あなたはイライラしないのですか?”“おやおや、イライラの感情を創ったのを誰だと思ってるんだい、私だよ。
”“じゃ、神様もイライラするんだ。
”“イライラする事は出来るよ。
でもそんな感情を選択しても意味がないので、選択しないよ。

この二人の会話で私が感じた事は、なるほど神は全ての感情や思いを判断なしに、そして善悪なしに経験しているが、神の神性さや偉大さを考えた時、イライラの感情は本当の神自身ではないので選択しないんだ、と思いました。

Fさん: 今のイライラの話を基に考えれば、神の最も偉大な部分には、不安の感情は入っていないように感じます。
人生で一番の目的は、その人がなりたい自分になる為に、あるいは本当の自分を経験する為に、否定の部分が用意されたもの。
その点を考えれば、神性な部分とは、私達にとって喜ばしい感情や思いである、共感・忍耐・援助・思いやり・親切な心など、全ての肯定的感情だと思います。

Eさん:私は愛について、ずっと考えていました。
同じ愛という言葉を使っても、その人の体験により深みの違いがあると思います。
簡単な例でいえば、5歳の子供と70歳の大人が同じ愛という言葉を使っても、経験や理解の違いからくる愛の深みや大切さが全然違ってきます。
そして二極性を活用する事で、私達は愛が体験出来ます。
光と闇の関係も同じです。
簡単に言えば闇がないと光が体験出来ない、同じように光がないと闇も体験出来ません。

 さて、神の神性な部分について考えてみます。
例えばここにコップ一杯の水があります。
この水を私達がどんな状況の時一番美味しく飲めるか、を考えてみると分かり易いと思います。
それは真夏のカンカン照り、全身が汗でびっしょり、喉がカラカラの時、そんな状況で飲む水は最高の美味さを感じる事でしょう。
このように、神の本質である喜びや愛を体験する為には、そのまったく逆の状況が用意される時に、素晴らしさが発揮されると思います。

Cさん:二極性についてなんですが、例えば北朝鮮の金正恩は、彼の側近を何百人も殺したと言われていますが、それでも彼の中に神を見る、という事ですか?いじめや殺人者も、彼らは悪人の仮面を被っているだけで、彼らの中にある神の愛を思い出して欲しい、という事を言っているのでしょうか?私にはあまりに突飛な物語で、理解しようとしても受け入れるのが難しいです(報告書の最後に、私、野川の意見の部分で説明を加えます)。

Dさん:Cさんの意見に賛成です。
毛沢東も少なくとも1000万人以上殺している。
ヒトラーもユダヤ人を600万人以上殺している。
彼らがした事は、結局、我が身可愛さだけだと思います。
確かに彼らは思想が深く演説も上手で行動力もあり、多くの人をマインド・コントロールしたと言うけれど、最終的には、彼の敵を、権力と支配欲と軍事力で抹殺してしまっただけ。
私はそんな彼らに愛があるとは思えない。
彼らの行為も、到底愛とは言えない。
間違っている。
だって自分の子供が可愛いと思えば、人の子供も可愛いと思うのは当たり前です。
何で人の子供を殺して、自分の子供だけ可愛いのですか?それは絶対おかしいです(報告書の最後に、私、野川の意見の部分で説明を加えます)。

Aさん:質問4.神の視点から見れば、闇も光も全て神の懐に入ります。
つまり、どこの視点で物事を観察するかで、私達の人生に大きな影響を与えると思います。
ところで私からの質問です。
神とは、全知全能なのでしょうか?  
Eさん:神という存在を、人格神と捉えるか非人格神と捉えるかで、意見が大きく分かれると思います。
私が感じる神は、一個の人間の器に閉じ込められるようなちっぽけな存在ではなく、無限の大宇宙に遍満する存在、エネルギー、生命体です。
しかもその神は、日々一瞬刻々と変化し進化し、様々の経験を積み上げています。
誰かが言葉で表現する全知全能をイメージする時、例えば進化の途中のある時点での知識や経験を基に、“この人は全て知っている、分かっている”と言うならば、それは違うと思います。
10年前の全知全能と10年後の全知全能は違うと思います。
何故なら、全知全能そのものも無限に進化しているからです。
言い換えると、全知全能と固定化した時点で変化が止まる、即ち進化が止まる。
それは限定された存在になり、小さな神になるように思います。
神は進化し続ける存在であり、生命は永遠に終わりなく続く存在、それが大宇宙の状態であり在り方だと理解しています。

野川:「神対」の中で、私は、神は全知全能と書かれている部分は思い出しません。
だけど、神様とニールさんの次のような会話のやり取りを思い出します。
以下は「神対@」の中での会話です。
“あなたはわたしの子供である…だが、わたしも別の者の子供である”“え、私は本当の神と話している…神の中の神です。
トップ、ボスですよ。
”“わたしたちはいま、不可能な事を試みている…要約出来ないかやってみようか…小さな物質のかけらを想像してごらん” (私はその時、小さな石を想像しました…野川。
)“それを二つに割ってごらん。
どうなった”“さらに小さなものが二つ出来ました。
”“それをさらにもう一度繰り返してごらん!何が残った?”“うんと小さなかけらです。
”“何度割ったら、それは存在しなくなるんだろう…つまり完全に壊してしまう事は出来ないと思うね?”“そのようです。
”“あなたはいま、全ての生命の秘密を学んだのだ。
無限を見たのだ「神対@P.267〜272」。
”私はこの箇所を何回も読み直し、最後に考える事は止めて、保留にしました。
何故ならこの回答が得られなくても、他の様々の素晴らしい教えを私の人生に活用すれば、自分の人生を豊かにしていくのに、充分役に立つからです。

 そして、今回の完結編で上記の疑問が明らかになりました。
この本の中で、神は次のように私達に応えています。
ニールさんが“ところで聞きたい事があるのですが、…私と神との対話は全て、本当は高度に進化した存在との対話だったんでしょうか?”と聞くと、神が“いや、そうではない。
この対話の源は、わたしが説明してきた高度に進化した存在ではない。
…これは「神性」が宇宙全体で表現される、もっと大きなプロセスの一部だ。
…全ての人間は、いつでもわたしと対話している。
…高度に進化した存在は、「本源的な源(Original Source)」との永遠の繋がりにもっとよく気付いている。
…あなた方が神と呼ぶ「基本的なエッセンス」との絶え間ないコミュニケーションを経験し、わたしとの永遠なる繋がりと継続的一体性の結果として、自分達が理解し経験した事を伝える為に、喜びと充足を感じている”と応えています「神対・完結編P.185〜186」。
つまり、生命は永遠であるように、神は永遠の存在であり、常に変化し進化を続ける。
生命はサイクルで、神には始まりも終わりもない円環である、という事ではないでしょうか。
さらに、多次元宇宙が存在し、私達の地球を含む宇宙はその一つである、とも伝えています。

Aさん:私が知っている高次元の存在は“全知全能の神という存在はいません”と言っています。
もし全知全能という固定化されたものがあれば、光だから闇がないと自分が分からないという事はありません。
何故なら、神は完璧だから。
でも固定化されたものがないんですね。
だから全知全能にしても、あるいは神の完璧さにしても、こうだと固定化されたものはない。
神は常に変化し無限に進化している、という事ですね。
ところで私からもう一つ質問です。
質問5.源の神、あるいは絶対神は、世界がそして宇宙がどう進化するかは分かっていないわけですよね。
もしどう進化するかが分かってしまったら、それは進化とは言えないのではないでしょうか?神は、実際どうなるか分かっていないんでしょう?
Eさん:私が思うに宇宙は、パラレルワールド(並行宇宙…野川)になっていて、可能性のあるヴィジョン(世界…野川)は無限にある。
その中で、私達がどのヴィジョンに意識を向けるか、あるいは選択するかによって、違った世界が展開してくると思います。
言い換えると、私達がどういう世界や宇宙を創造したいか、あるいは体験をしたいか、そしてそこに意識を向け続ける思いと行動が、結果的に、望む世界や宇宙を生んでいく。
そういう意味では、結果は決まっていない。
選択次第だと思います。

野川:私は広い意味では、神は最終的にどんな結果になるかを知っていると思います。
何故なら神は、常に私達の一歩先を行っているからです。
例えば「明日の神」の中で、神は次のような内容を伝えているのを思い出します。
もし向う約30年間、私達の意識が変わらなければ、今の私達の生命体系は変化する「明日の神P.4,125」。
具体的には、私達が抱く分離意識・過度な競争意識・優劣意識・適者生存意識(優れた者が勝ち残り、劣った者が淘汰される)が変わらなければ、私達の社会は遅かれ早かれ大きな衝突が起きる(集合意識は2〜4%で最初のドミノが倒れる「明日の神P.30」。
)私達の文明はかなり危険で、過去に崩壊したアトランティス文明の状態に限りなく近づいている、と警鐘を鳴らしています(「神対・完結編P.229」)。
つまり、これこれの意識状態が一定の期間続けば、これこれの状態が生じると予測出来る、という事でしょう。
これは、私達が日常生活で使っている方法と同じです。
神は私達に100%の自由を与えているので、この事に関して一切関与・介入しません。
Eさんと同じ意見で、どういう世界を創造するかは私達の選択次第だと思います。
ただ、神の視点では、その全てのヴィジョンは見えるし、分かっていると思います。
丁度、神が例題としてあげたCD-ROMのゲーム機のように「神対BP.137〜139」。

Dさん:私にはその選択が分からない。
何を選べばベストか分かりません。
想像では言えますが。
広い宇宙の根本的な理論・原理・法則を理解しないと言えないと思います。
これは、私が以前、山梨にあるプラネタリウムに行った時の話です。
そこでは地球を含めた太陽系があり、その太陽系を含めた銀河系があり、その他にもなんと4000億以上の銀河系があると説明しています。
でもこれは138億光年までの電波望遠鏡で測定しただけのもの。
まだその先が存在するかも知れない。
無限の広がりの可能性が残されています。
さらに、地球以外に7〜8個の太陽があると説明しています。
これは広い宇宙の一部の話だから、太陽がもっとあっても不思議ではありません。
そうすると大宇宙は無限の広がり、拡大になる。
この広大な宇宙の中で、そして地球に住む私が、何を基準に選択すればいいか分かりません。

Aさん:質問6.世界中で様々の出来事がテレビやラジオや新聞で報道されていますが、皆さんはその出来事が自分に関係があると考える、もしくはないと考えていますか?
野川:勿論、関係があると考えます。
全ての人(動・植・鉱物を含む)が、思考や感情というエネルギーの波動を通して、宇宙全体に放射しています。
そのエネルギーの複雑なからみで、全ての可能性のある出来事が創造されていると考えています。
つまり遠くであろうが近くであろうが、私達はいつも波動の交換をし、何らかの影響を受け続けているという事です。

例えば先程話題に上がった、竹下通りを車で猛スピードで走り意図的に人を撥ねた事件を考えてみます。
あのニュースを聞いた時、自分自身を傷つけ、他人を傷つける行為を私は絶対しない。
しかし、彼をあそこまで追い込んだ家庭的、教育的、社会的原因は何なんだろうと、いろいろ考えさせられます。
彼の行動を勿論取り入れませんが、私は、彼が悪人だと決めつけたり断罪はしません。
そうすれば自分の心が、人を裁き非難し敵視するからです。
そして、私の心の現れが、私が見て体験する世界だと考えています。
私が思うに、私達はこのような様々の出来事に全員が約束して参加している。
その関係性の中で、自分が注目した出来事を通して、いろんな考えを抱き、それを自分の人生に活用しながら、本当の自分に気付き、自分の人生を創り上げている。
出来事は、そのチャンスをいつも私達に提供している。
この出来事の捉え方が、神が私達に教えている根幹の一つだ、と私は考えています。

Fさん:直接自分が出来事を体験すると、その自分への影響は大きいと思います。
そして地球や宇宙のどこかで起こっている出来事も、例え微弱であっても何らかの影響を受けていると思います。
例えば、静かな池の水面に石を落とします。
落ちた場所は波紋が大きく現れ、それが徐々に広がり、その波紋は弱くなりながらやがて縁に届きます。
目に見えなく極めて弱い波紋であっても、やはり影響はあります。
このように、全ての存在の動きを波動で考えると、必ず何らかの影響を受けると思います。

Eさん:関係があるかないかというよりも、ニュースを見聞した時、自分はどういう関係性を持ちたいか、だと思います。
つまりこれは選択の問題であり、その選択は無限にあります。
例えば出来事に対して、@ 私はまったく関係ない。
関わりたくない。
A 私は何か自分の中で感じる事があり、何か行動に移してみたい。
だから、私の出来る範囲で関わる。
B 私にとっては重大なものと感じる。
だから100%関わる。
このように、いくつもの選択方法が考えられる。
そこで私の結論は、私はこの問題に関わりたいか、もし関わりを持つならどこまで関わりたいか、という選択の問題で、それによって結果が生じてくると思います。

Dさん:関係ないと思えば、全て関係ないと思います。
例えば自分が死んでいく時、世界の誰も知らない。
ニュースにも上がらない。
一方、生活に関わっている自分の家族や親戚や友人達―大体2〜300人―の中で何かがあった場合、喜びや悲しみを共に感じ多大な影響を受けます。
ただ、テレビで流れる身近に考えられない世界情勢や経済情勢やその他の出来事に対しては、単なる映像として映るだけです。
勿論、人が傷ついたり無残な亡くなり方をしたニュースを聞けば心は痛みます。
そこで、私は自分の心に素直になり、良心に従って感じたり行動出来る人になりたいと思います。
大切な事は一生の中で、自分が熱意をもってやり遂げた事、経験した事がどれだけあるか、それだけだと思います。

Gさん:「神対」を例題に取って考えてみます。
最初の本が出版されたのは、今から約30年前。
その後シリーズ本として、総数10冊が世に出ました。
これを読んだ人が世界中に千万単位でいます。
その影響というのは、知らない人であろうが、どんな立場の人であろうが、大なり小なり受けていると思います。
私達の世界が、「神対シリーズ」の無かった状況から、多くの人に読まれて意識変化が起き、徐々にではあっても世界が微妙に変化していると思います。
という事は、本人が知る知らないに関わらず、嫌でも関係性を持っている、と言えるのではないでしょうか?それ故、どんな小さな出来事でも誰かに影響を与えそれが周りに広がり、みんなの事が自分の事として何らかの影響を受けるのでは、と感じています。

Aさん:自分の現実は全て自分が創っている。
この世界は、自分の意識の投影だと考えています。
そこでテレビやラジオから流れるニュースや出来事、それが身近なものであれ遠くのものであれ、全て自分の意識が映し出されている。
実際体験していないニュースも、自分の意識の中にあるものを象徴・シンボルとして見せてくれている、と思います。
逆に言えば、自分の意識にないものは見えない。
そして、世界を見てどう意味付けするかは、私達の選択次第だと思います。
その時、肯定的な意味付けをすると肯定的な現実を引き寄せ、否定的だと否定の現実を引き寄せ経験する。
結論としては、世界で自分が目にするものは、自分の意識の中にある。
ないものは見えないから存在しない。
そして目にしたら、どう解釈するかはその人の選択次第だと私は思います。

★以下は、今月のテーマ「小さな魂と太陽」に関する「神対シリーズ」からの抜粋の要約と、野川、個人の意見です。
  
 まず、既に記述したように、Cさんの金正恩の件と、Dさんのヒトラーの件の両方を含めて、以下の抜粋文を参考に考えてみたいと思います。
 
“ヒトラーという経験が可能になったのは、グループの意識の結果だ。
…ヒトラーは、何百万人もの人々が協力し、支援し、積極的に服従しなければ、何も出来なかった。
…ナチの運動を発展させた肥沃(ヒヨク)な土壌は、集合意識だった。
ヒトラーはそのチャンスを掴んだだけで、創り出したわけではない。
…ヒトラー経験の恐ろしさは、彼が人類に対して罪を犯したという事ではなく、人類が彼に罪を犯させたという事だ。
驚かなければならないのは、ヒトラーが登場した事ではなく、あれほど多数の者が彼と行動を共にした事だよ。
恥ずべきは、ヒトラーが何百万人ものユダヤ人を殺した事だけでなく、何百万人ものユダヤ人が殺されるまで、誰もヒトラーを止めなかった事だ。

ヒトラー経験の目的は、人間性を示す事だ。
歴史を通じて、注目すべき教師達が現れては、あなた方の本当の姿を思い起こさせる目覚ましい機会を提供した。
これらの教師達は、人類が持つ最高の可能性と最低の可能性を教えた。
…世界が変わって欲しいと思うか?では、あなた自身の世界を変えなさい。
…ヒトラー経験は―キリスト経験と同じように―深遠な意味を持ち、あなた自身についての深い真実を明らかにしている。
…あなた方全ての中に、ヒトラーのかけらがある。

…ヒトラーは人類がどれほど恐ろしい事をやってのけるかを教える為に、どこまで人間が落ちるかを教える為に、送られてきたのですか? ヒトラーは送られたわけではない。
あなた方によって創り出されたのだ。
彼は、あなた方の集合意識から生まれた。
集合意識がなければ、存在しえなかった。
それが教訓だよ。
分裂・分離・優越意識が、ヒトラー経験を創り出す。
聖なる友愛・統一・一体感という意識が、キリスト経験を創り出す。
…世界はようやくヒトラーは「間違っている」と判断した。
という事は、世界の人々が、ヒトラー経験との関係を通じて、自分は何者であり、何者であろうとするかについて、新しい考えを抱いたという事だ。
彼は物差しを提供したのだよ。
私達が自分自身についての考えを計測し、限界を決める為の境界をつくったのだ。
対極ではあるが、キリストも同じ事をしたのだよ。

…ヒトラーは、自分が善行を行っているとは知りませんでしたよ。
彼は、悪事をしていると思っていたんです。
いや、そうではない。
彼は、「悪事」をしているとは思っていなかった。
彼は、同胞を助けていると思っていたんだよ。
…どんな者でも、自分なりの世界モデルに照らせば、何も間違った事はしていない。
…ヒトラーは、同胞の為に善行を行っていると考えていた。
それに、同胞もそう考えていたのだ!それこそが、狂気なのだよ!国の大半が、彼に同調したのだ!
あなたは、ヒトラーが「悪事」をしたと言う。
宜しい。
その物差しで、あなたは自分自身を定義し、自分をもっと知るだろう。
良い事だ。
だが、それを教えてくれたヒトラーを非難するのは筋違いだ。
誰かが教えてくれなければならなかった。
冷たさが分からなければ、熱さも分からない。
下降がなければ上昇もない。
左がなければ右もない。
一方を非難し、もう一方を褒めるのは止めなさい、それでは、真実を理解出来ない。
…いいかね。
神の愛と神の憐み、神の知恵と神の赦し、神の意図と神の目的は、どれほど凶悪な犯罪、どれほど凶悪な犯罪者をも包み込んでしまうほど大きい。
あなたは賛成しないかも知れないが、それはどうでもよろしい。
あなたはいま、ここで発見すべきものを学んだばかりだ「神対BP.85〜91」。

 上記の説明のように、金正恩にしてもヒトラーにしても、彼らの視点に立てば、私は彼らなりの愛があると考えます。
それは例えば、彼らの家族や親族や民族を守ろうとする愛です。
ただ勿論私は、彼らの愛の表現方法や行為を称賛しないし真似もしない。
しかしそうかと言って彼らを悪人だと決めつけないし、非難も裁きもしない。
もし決めつけ非難し裁けば、自分の心がそのような思いに捉われ、そのような出来事を引き寄せる可能性があるから。
何故なら心の投影が、自分が経験する世界だからです。

彼らはどんな悪事をしたのかと、外の出来事に意識の焦点を当てるのではなく、それよりも、彼らは私にどんな気付きを与えてくれたのだろうと、自分の内側に意識を向けます。
そして在りたい自分、望む自分、表現したい自分に照らして、内に湧き出た感情や思いから、どんなものを意図的に引き出し表現し経験すれば、自分自身をより高め成長させ進化させるか。
さらにより豊かな人生を創り出せるのか、と自問自答し吟味し検討しそして決断します。

 さて私が理解した「小さな魂と太陽」の教訓を、要点を整理して以下に記述します。

@世の中で起きる出来事は、全て必然的である。
偶然は何一つない。
何故なら物質宇宙(地球)に降りてくる前に、個々人が同意と許可の関係(約束)にあるから。

A個々人が、アジェンダを持って降りてくる。
その時、記憶を捨てる。
何故なら全てを覚えていたら、何の感動も喜びもないから。
ドラマの筋を全て知っていたら、退屈なだけ。

B相対性・二元論は幻想である。
これは、神が使うツールである。
つまり、本当の自分を知る為には、本当の自分ではないものが便宜上ないと、本当の感情や思いを経験出来ない。
例えば、実在する愛を体験する為には、反対の要素、幻想の不安がないと体験出来ない。

C全ての人は天使である。
一人も悪人はいない。
神の領域は、全てが一体という、一つの状態。
相対性の分離の状態ではない。
従って、不安という感情から私達が創った全ての否定的感情、例えば怒り・恐怖・恐れ・妬み・憎しみ・嫉妬等々は、全て幻想であり実在しない。

結論:私達は、個々人が約束の基に地球に降りて来て、幻想である相対性システムを人生に活用しています。
そして展開する様々の人生ゲーム・ドラマで、それぞれの役を演じる。
その関係性の中で、本当の自分に気付き、表現し、経験し、喜びを感じ、それを興味ある周りの人達と共有し社会に広げていく。
最終的に、皆が仲良く平和に平等に安心して暮らしていける世界、つまり、地上天国を創造していく事ではないでしょうか。
私はこの物語「小さな魂と太陽」を自分の生活に取り入れると、人生の流れを大きな視点で捉える事が出来、人間関係等いろんな面で、非常に役に立つ事を実感しています。
皆さんはどうですか?
<終わりに>今回も楽しく有意義なひと時を分かち合いました。
有難うございます。
野川