CwG Weekly
http://humanitysteamjapan.com/mt/blog/
(ニール本人からの依頼により公式翻訳中)
ニール氏の個人ブログからの抜粋も合わせて掲載しています。(ニール承諾済)]]>
ja
2006-08-25T14:32:54+09:00
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憂鬱について
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000101.html
憂鬱について・・・ (#181CwGウィークリーより) 人が深いウツ状態に落ち込んだとき、そこから「抜け出る」のは実際のところ難しいものです。いわゆる「人生/生命の真実」について「知っていること」がどれほどあったとしても、そこから抜け出るのは簡単ではありません。 物事について「知っている」と思っていることに・・私たちが気づいていると思っている霊的な原則に・・私たちの多くは表面的にうなずいているだけの時があるのです。その間ずっと何も知らないかのように行動をしていながら。 短時間で悲しみから抜け出すための、私が知っている方法が2つあります。一つ目は、数年前に私の素晴らしい師に教わった「プロセス」です。2つ目は「生き方」に関することです。 まず一つ目を見ましょう。繰り返し起きる悲しみや憂鬱に苦しんでいる時は、螺旋綴じの小さなポケットノートを買ってきて、行く先々のどこでも持って行くとよいでしょう。悲しみにおそわれた時や憂鬱に沈んだ時には、そのノートを取りだして日にちと時間を記し、悲しみに陥ったその時にまさに何をやっていたのか簡単に書き出します。そしてその次に、どのくらい悲しんでいたり憂鬱に感じているかを、1から10の間の数字を一つ書き出します。数値で示します。今までの体験と同じくらい落ち込んでいるか?もしそうなら、8か9と書きます。今までの体験より落ち込んでいるか?それなら10と書きます。少し悲しくて、でもそんなにすごくは落ち込んでいない状態か?それならおそらく6でしょう、このような感じで。 さて今度は、30分経ったところでもう一度同様にはかってみます。つまり、ノートを脇に置き、やっていたことがなんであってもそれに取りかかり(それがたとえ、座って壁を見つめ何もしないことであっても)、30分経つのを待ちます。もしタイマーとアラームのついた時計を持っていれば、それを使うとよいでしょう。いずれにしても、30分経過した時にそれを知る方法を見つけて下さい。 そして、ノートを取りだしてそれまでにしていたことを正確に書き出します。今どれくらい悲しいかまたは落ち込んでいると感じているかを見つめ、それを反映する1から10の間の数字を1つ書きます。そしてまたノートを脇に置き、あなたの生活を続けます。 今度は20分経つのを待ち、またノートを取りだし同じプロセスを繰り返します。 次は15分経つのを待ち、もう一回同じことをします。そしてそのあとの一時間、15分ごとに同様のことを行います。もちろん、あなたの「スコア」がかなり低くなり、続けてやる理由がなくなったら、途中で止めてもかまいません。 このプロセスであなたが発見することは、自分のすることを見つめている間ずっと落ち込んでいることは本質的に不可能だ、ということです。(ついでながら、怒りについても同じことが言えます。)神との対話ではこのことを、「あなたが抵抗するものが存続する。あなたが見つめるものは消える。」とうまく言っています。 私が伝えたい2つ目の小さなツールは、生き方を変えること(life-style change)です。今度あなたが「すごく悲しく」て「どう脱出していいかわからない」時には、同じように悲しんでいるほかの人を探します。これは、今の世の中の状態から見て難しくないはずです。遠くまで探しに行く必要はありません。 その人に、あなたが自分に望んでいるまさにそのものを、進んで与えてください。つまり、その人を悲しみから抜け出させることなら何でもしてください。あなたは、驚くべき秘密が明らかになったことを知るでしょう。 あなたが体験したいことは何でも、ほかの人のその経験の源になりなさい。 これはきわめて簡単な公式であり、すべてのことに役に立ちます。もしあなたが人生でもっと人との交わりがほしいのなら、人との交わりをほしがっているほかの人を探し、その人にそれを与えなさい。あなたはそれを、自分にも同じように与えたことに気づくでしょう。もしあなたが人生でもっと愛がほしいのなら、愛をほしがっているほかの人を探し、その人にそれを与えなさい。あなたはそれを、自分にも同じように与えたことに気づくでしょう。もしあなたが人生でもっと、忍耐・理解・寛容・またお金でさえ、欲しいのなら、欲しがっているほかの人にそれを与えなさい。あなたは自分に入ってくるものが増えたことに気づくでしょう。もしあなたが人生でもっとセックスがほしいのなら、・・・。 さあ、あなたにはもう構図がわかりましたね! 微笑んでいますか・・・? 私たちはますます賢くなっています。 そう、あなたはツールを持っています。私が発見した、孤独・悲しみ・分裂・憂鬱を終わらす2つの最高のツールを。 あなたの人生を変えうる魔法の言葉: 抵抗するのをやめなさい。源でありなさい。(Do not resist. Be the source.) -NDW ━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━━ ※ CwG Weekly Bulletin #181より抜粋 日本語翻訳: HTジャパン翻訳チーム 姫田憲尚/近川 満 ※英語版の無料購読はコチラへhttp://www.cwg.org/bulletins.html ※「神との対話」などNew Spirituality(新しい霊性)のメッセージが あなたのもとに毎日配信される、デイリーメッセージ(英語のみ)は コチラから http://www.newspirituality.org/...
HTJT
2006-08-25T14:32:54+09:00
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CwG#165 読者の手紙
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000100.html
親愛なるニールへ 私はこの手紙を、私と神との関係が悪くなっていると最近感じて落ち込み、混乱と怒りの感情から書いています。 私は昨年からうつ病であることに気付いています、それは生活の多くの面(全部ではないにしても)に影響を与えています。子供の頃や家庭内の体験の蓄積で、その結果今や自律神経が正常に機能せず、思考もうまく働かない、危機的状態だと思います。専門家にアドバイスを受け、サポートグループにも参加しています。けれども、今では神にとても怒りを感じる”深刻な魂のうつ”のようです。 この12年間、神との関係を深めていき、発展させていくことに人生を捧げてきました・・東洋の伝統的な教えを学び、実践し、本来の自分、信念を明らかにするように生きていこうとしました。 神との対話から大いに慰められもしました。 にもかかわらず、うつはますますはっきりと現れて、時々、この身体で生きていてもこれ以上望みはない、と自ら命を絶ちたくなります。神は私を見捨ててしまった・・私は真剣に魂の教えを学び、実践してきたと信じていますが、それがより多くの落ち込み、混乱、苦痛をもたらしたように感じます。 現在30歳です・・人生の大きな転機が2つあります・・親になること、それと大学を卒業し福祉関係の職で経験をつむことでした。たくさんの望みや希望がありましたが、全部吹き飛ばされてしまったように感じています。大学卒業後すぐに、青少年教育の指導者の職に就き、最初は楽しく働いてましたが、時が経つにつれ多すぎる仕事とそれにまつわるストレスが、処理しきれないほどになりました・・私は退職しましたが、キャリアも積めない、親として家族の面倒もみれない、特に私が大学在学中に経済的な面倒をみてくれたパートナーに対してすまない、すべてに失敗してしまったと感じています。 家族と、神と、周囲の人とのつながりが以前よりないような気がします。親としてまだ慣れてない自分がいて、私よりも子供が多く、育児がうまく行っている人たちと私を比べてしまいます。数年前に働いていた障害者福祉施設でまた働く事ができ、そこではどんな問題でもうまくこなせ、人から尊敬され、私自身価値があると感じられる、すばらしい場所です。けれども、家庭に戻ると落ち込みます。夜中ずっと起きている赤ちゃんの世話に私もパートナーも疲れ果て、家は散らかっているのに家事を避けています。 自分の子供さえも避けている毎日です。息子に対しては完璧な親でいたいのですが、彼といっしょにいるときの私の精神状態は悪くなる一方です。パートナーに悪影響を与えてるように、息子にも影響を与えないか心配です。親であることと、スピリチュアルに生きることを両立させるのは難しすぎます。 私は神に怒りを感じています、なぜならば私たちのお手本である、悟りを開いたマスターたち(仏陀、キリスト、クリシュナ、ヨガナンダ、)はまず、隠遁者で、家族に対して何の責任もなく修道的な生活をしていたからです。仏陀は妻や子供を残して悟りを追い求めました。(仏陀の話が神話だったとしても)家庭を持っている人にとってなんのお手本になるのでしょうか? 神との対話でいつもでてくる、「私たちが現実を創造している」、創造したものに私たちは責任がある、という教えにも怒りを感じています。神は人類が分離という幻想を創造したと主張しているようですが、神はこれらのすべての責任を放棄しているように思えます・・神が「神ではない部分を経験するために、彼自身を分離した」張本人です・・ですから人類が創造したこれらの分離という幻想の責任の一端を神も担わなければならないのです、単に「私たちが自身の現実を創造している」と言うだけではなくて。 私のような家庭持ちが家族への責任を果たしながらワンネス(Oneness)の現実を悟ることは、ほぼ不可能のように思えます。要求やプレッシャーが私の魂の修行を難しくさせています。家庭があるといろいろ責任もあり、時間とエネルギーを使います。一方、僧侶や修行者はすべての時間を祈りや瞑想に使いますが。 私が言ったように、人の親でありながら覚醒し悟りを開いたというお手本になる人はいません。ほんとに不幸で悲しい事です。二ール、私は本当に生きることをあきらめ、スピリチュアルな道を捨てたい想いに駆られます・・これ以上苦痛に耐えられません・・私には重過ぎるのです。人生に疲れ果て、落ち込んでいます。今生は失敗だったと思う時もあります。ただ、ただ、怒り、絶望しています。この暗闇も過ぎ去ると思いたいのですが、トンネルの向こうに光を見るのは難しいのです。 二ール、あなたがこの文章を読んでくれることを期待はしていません、答えてもらうなどは言うまでもなく・・私がこれを書いているのは・・少しでも私の心の苦痛が解放される事を願ってのことです。 心より、 ブランコ 親愛なるブランコ、私に助けを求め、この手紙を書いてくれて、ほんとうにありがとう。そのこと一つとってみても、はあなたが次の段階への気づきへと行こうとしている表れです。たくさんの人があなたのように分岐点に到達しても、それ以上進むことなく、自己覚醒の探求をやめてしまいます。ですから私はここまでくる事の出来たあなたに感動し、誇りに思います。あなたは真の誠実な探求者です・・そして私はあなたに知っておいて欲しいのですが、あなたがしたように、道の途中で他人に助けを求めるとき、あなたは「そこ」に至る半分以上の道のりに達していることを。これが私たちが地上に存在する理由です:お互いの旅を助け合うためなのです。 状況を把握してみましょう。 ブランコ、最初に気がついてほしいことは、あなたはたった30歳であり、悟りへの旅というものは一生の探求になりえるのです。私は50歳でゴールまでもう少しというところへ来るのにたくさんの困難、苦難、試練を乗り越えてきました。 さて、落胆させるつもりはありません・・あなたが望んでいる状態へたどり着くのに半世紀もかける必要はないということです。今すぐにでもそこへ行くことはできますし、ポン!と突然次の気づきの段階へいくかもしれません。もっと後で真の自分自身を経験することを選択するならもう少し時間はかかることでしょう。私の言いたいことは時間が必要だということです。あなたにとっての今現在の修行は忍耐です。これがあなたのマントラです。今の課題です。いまの旅路です。 「覚醒の技術」にはたくさんの修行があります。10、20、100以上かもしれません。それには:忍耐、理解、感受性、自制、許し、恐れないこと、自己愛、すべての生命・他人・場所・状況を無条件で愛すること、判断しないこと、規律、足ることを知ること、創造性、適応性、変化、誠実、責任、そして開放があります。 ここにあげたのはほんの少しで、もっとあります。 これらの「修行」は私たちが神性のある特定の側面を実践するための機会です。それは「あなたが何者か」そして「あなたが何者になりたいか」の特定の側面のことです。ひとつひとつの修行が瞑想です。人生の特定の側面についての瞑想、あなたとしてあなたを通して表現すること、それは高い意識に到る道の踏み石です。 これらの瞑想には順番にまたは同時に、速くまたはゆっくりと、関連しあったりあるいはばらばらに、あるいは時にそれらのどのような組み合わせでも入っていけるでしょう。 ほとんどの人にとって何が起こっているのかわからないのが難しいところです。実際には彼らが人生のメニューの中からこれらの経験を「注文」したことを知らずに、自身の完全な悟りに入る宴会を楽しんでいるのです。事実、彼らはこれらの瞬間と状況を悟りへの障害と見ています、これらは入口なのに。 「あなたが本当は何者か」であることを修行する時には、自分自身に対して開いていなさい。 個人個人で違う道を創っていますが、行き先・・気づきの場所・・は同じです。あなたはあなたの真のアイデンティティーに目覚めていきます、そしてそれを行なう手段としてあなたの人生の環境や状況を使うのです。 ですからすべての状況を祝福し、祝福し、祝福しなさい、そしてそれらの真の姿を知りなさい:それはあなたにとって、「あなたが本当は何者か」を表明しそして宣言し、表現し達成する、経験してそうなるための機会なのです。 キリストがはりつけの刑を経験したこと、仏陀が長年にわたって探索と激しい自己鍛錬に励んだこと、そしてすべての人間がいかなる瞬間にも自分自身を見つける状況を創るのもまさにこの理由のためなのです。 それが現れるままにその瞬間を迎え入れ、その瞬間と恋に落ちる時こそ、変容の真の体験の中で、その瞬間その場所で善きものに転換し、そしてあなた自身も、人生の苦痛や失望から開放されるのです。 これが悟りのすべてです。 あなたの妻と結婚生活を祝福しなさい、なぜなら両者ともあなたに自分自身の神性を知りそして経験するための、そして特別な方法であなた個人の修行をするための、機会をもたらしてくれたからです。あなたの赤ちゃんを祝福しなさい、なぜなら彼はあなたとあなたの妻の呼びかけに応えて送られた、そして彼自身の魂の呼びかけに応えて降りてきた、あなたがたが浸っている集合的現実の完璧な共同創造の場に現れた天使だからです。 さてブランコ、あなたは正しいと言わせてください。家庭人の道は、かつて私たちの間を歩き悟りを開いた人たちを思い浮かべるときによく聞く道ではありません。けれどもこれがすべての本当のマスターの道です、なぜならこれがマスターがマスターであることを示すことのできる、場所であり道だからです。 あなたはキリスト、仏陀、他のマスターたちはこの道を歩まなかったと言いましたね、でもこれだけは言わせてください:すべてのマスターたちはある人生で、または別の人生で経験しているのです。というのも家庭人の道は最も厳しい道で、最大の試練だからです・・ですから最大の機会なのです・・そして今まで存在したすべてのマスター達が歩いたのです(その意味するところは、かつて存在した魂のすべてということ、なぜならすべての魂はマスターだから、そして全部の魂が究極的にはそれを経験するのです)。 あなたの人生の状況を、忌むべきものではなく祝福として、障害ではなく機会として、試練ではなく宝物としてみるならば、その時あなたは、あなたが経験しようと求めてきたものを、自分で自分のために創造する途上にあるのです。 さてブランコ、あなたの個別の状況に関連して、あなたに言いたいことがあります。 #1 「失敗」などというものはありません(それは頭が作った幻想です)、そして青少年教育の仕事を辞めるという決断は、あなたが人生で下した一番賢いものかもしれません。 あなたは「仕事への不満」と「ストレス」のために辞めたと言いましたね、でもここではっきりと言いますが、あなたにピッタリ合った仕事ならば決して「不満」を感じることはありません。それは正反対です・・人はそれにうんざりすることなどできません。ですから、あなたが「不満」に感じたという事実は、あなたが自分に合わない場所で合わないことをしているという確かなしるしなのです。 ストレスについて言えば、それは常にSignal Truthfully...
HTJT
2006-08-09T21:16:00+09:00
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神が必要ないってどういうこと?
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000099.html
このメッセージを初めて神から聞いたときは、悲しい気持ちになりました。私は神を必要として いたかった。神の助けが必要だということは、私の上に誰かがいてくれることであり、自分以外の頼みの綱があるということだったからです。 ここで父が亡くなったときの事を少し書きたいと思います。 当時、父の容態がかんばしくないことは分かっていました。なにしろもう83歳でしたし、体力は日ごとに衰えていて、だからこそ死の知らせを聞いた時も驚くことはありませんでした。電話が鳴り、受話器の向こうの「ニール、本当にお気の毒なことだけど、お父さんが亡くなったんだよ」という言葉を耳にした時、私を襲ったのは驚きではなくて、深い悲しみと・・・押し寄せるパニックの波だったのです。悲しくなったのは理解できますが、なぜパニックに陥ったりしたのでしょう。それは私がこれまでに感じたことのない、恐怖ともいえる感覚でした。 これは大きなショックを受けた人なら誰もが経験する混乱なんだと自分に言い聞かせましたが、ではなぜ混乱したのでしょうか。悲しみは当然だとしても、混乱するなんて? その後、自分の感情のさらに深いところと向き合ってみて私は気付きました。そう、今となっては自分が父の役割を果たさなくてはならなくなったから、私はパニックになったのです。父亡き後、今度は私がみんなの上に立って、家族の長にならなくてはならない。いまや私が大黒柱で、ボスで、みんなの頼みの綱になってしまったのです。 私の上にいてくれた存在が、ふいに消えてしまいました。バトンはこの手に渡されたのです。 つまりこれは、誰かが何か聞いてきたら、すべて私が答えなくてはならなくなってしまったということでしょうか?新しい大家長のごとく、家族の問題はすべて私が解決策を出さなくてはならないのでしょうか?じゃあ、私自身の問題は?私に困った事態が起きた時、一体誰に相談したら良いんだろう?誰に電話したらいいんだろう? 実際、困ったことが起きて父に相談するなんてことは長いことしていませんでしたが、だからといって気持ちが収まるものではありませんでした。困ったことが起きたら父はいつだって側にいてくれるんだ、そう思うだけで安心でした。しかしその父が亡くなった今、私は一人です。家族構成から考えれば当然だったのでしょうが、当時の私はまだ結婚していなかったこともあり、残りのメンバーがみんな下につくことになりました。私の上には誰もいない。それどころか、隣りにもいない。本当の意味で私はひとりきりになってしまったのです。 この気持ちはそう簡単に払拭できるものではありませんでした。乗り越えるまでに何ヶ月もかかりました。しかし身をもって父の死を体験したことで、結果として、父という存在の源が私の側から離れてなどいないことを悟ったのです。生きていたときに彼が与えてくれた源は、亡くなったからといって私の元から消え去ることはありませんでした。ストレスや困難にぶつかったとき、私は父の言葉を、与えてくれた英知を、そして父ならではの機転のきいた解決法を思い出し、その知恵や手法を使わせてもらったものです。父はいつだって私のそばにいてくれました。この頭の中の考えとして。 しかし「神との対話」において神と向き合ったとき、私は再び大きな喪失感に襲われてしまいました。心の拠り所を、私の判断が間違っていないかを判断してもらう「上告裁判所」を失くすという感覚です。神を必要としなくてもいいということは、もう神に頼る必要がないということで、つまりそれは私自身が「神」であり自己完結の存在だから、もう誰のことも必要としないということになります。誰も必要としなくて良い、という考えは心休まるものではありませんでした。本当はそうあるべきなのでしょうが、私にとっては違いました。 冒頭にも書いたように、私は誰かを必要としていたかったのです。とはいえ「神との対話」の中で語られた、自分以外の何か・誰かを必要とするという感覚が多くの人々を宗教に走らせ、さらに共依存という人間関係を作る元になっている、という考えには同意せざるを得ませんでした。 のちに「神とひとつになること」の中で、神から「必要」が存在するという考えはただの幻想であると聞いたときにも、やり場のない気持ちになったものです。あの時の私に出来たのは、人生というものに、そして生きるというプロセスにどんな神秘が隠されているのかを深く探求することだけでした。 「神とひとつになること」は、今必要だと思っていること、またこれまで思ってきたこと全てを見つめ直す機会を与えてくれました。さらに、それを本当に必要としているのか、それとも必要だと思い込んでいるのかを自分に尋ねることができました。ただの好みであって、実際には必要性ではなかったのではないか、と。 このことで、絶対にこれがないと幸せになれないという事など実はほとんどないことに気付きました。さらには、生き延びるための必須条件とされるものすら必要ないことを「神とひとつになること」は教えてくれたのです。私がこれからも存在し続けるということは神から保障されていて、私という存在に与えられているのだ、と。 食べ物も要らない。水も、住むところも、そして空気さえも必要ないのです。もし長時間酸素のない状態におかれたら、私の肉体は、当然のことですが、機能を止めることでしょう。しかし、私そのもの…つまり私という本質は違います。機能を止めることすらないでしょう。 神からこのことを聞いて、私にはもう何も心配することがなくなりました。 もちろん、これは肉体のレベルを超えた次元での話です。しかしここ地球での、そしてこのカラダでの暮らしを楽しみたいとなると、必要とするものが山ほどある気がしてきます。しかし、そのことについて真に正直になってみれば、誤解を恐れずに敢えて言うなら、今回の人生を豊かに生きるために私が必要とするものすら、実はほとんど・・・何もないのです! 「神との対話」の中でハッキリ表されていましたが、幸せは…そして幸せそのものを創造する源も…自分の外には存在しません。また不幸というものも、自分が不幸だと考えてばかりいるならなおさらのこと、自分自身の中にしか存在しません、実際にはそこが不幸を見出すところなのです・・自分が外ばかりを見ているときには特にそうです。このことは、「神との対話」の中で最も多く用いられたであろう「内側に入っていかなければ、それを手に入れることはできない」という一節に表されています。 人生について、またあらゆる出来事に対してどのように感じるかで、私たちは幸せにも不幸せにもなりますが、この感じる気持ちそのものは私たちの中で作られているのであり、外から来るものではないのです。 年月を経るにつれ、私はこの真実のもたらす素晴らしさに深い感謝の念を覚えるようになりました。「神との対話」で得たこのメッセージを日々の習慣として身に付け、幸せの根源を自分以外の存在ではなく自分の内側に入って探すようになったのです。 そして今やっと、…これは特に「神との友情」における神からのメッセージのおかげなのですが…神が必要ではないという事実は決して私が孤独であったり、大いなる源と切り離されたりしているという意味ではない、と気付きました。文字通り神とひとつになることで、私はあらゆる源にアクセスしてその力を借りることができ、他に比べようがないほど大いなる力を身に付けることが可能になり、さらに人生を創造の場にすることができました。これぞ驚嘆すべき奇跡であり、心沸き躍る事実であり、そして私は何者であるかを知るという真実の経験そのものなのです。 神は私から必要とされたいなんて思わないでしょう。これは両親が子供に必要とされたがることなどなく、むしろ自分たちを頼らずにやっていくことを教えるのに似ています…ちょうど私の父と母がそうであったように。二人は自分たちという贈り物を私に与えることで、親離れをさせてくれました。両親という存在そのものを贈ってくれたのです。それは時に洞察力であり、知恵であり、力でもありました。慈しみの心として、優しさとして、愛として与えられることもありました。さらには困難に立ち向かう勇気として、また困難を解決するあらゆる想像力としても届けられたのです。 これらの贈り物は、一番の親友であり、父であり母でもある神という存在から、私に、そしてすべての人に届けられています。アイディアを思いついたとき、なにか良い考えがないかと 頭をひねるとき、勇気や思いやりが必要だと感じるとき、計り知れない愛を注ぐことを選ぶとき、私は神の名を呼びます。すべての根源であり、存在するすべてである神を。 そしてその時、私が助けを求めているのは実は私自身に対してなのだと、じかに、そして間違えようのない方法で、神は教えてくれています。私と神はひとつの存在であり、私たちを隔てるものは何もありません。つまり私自身が神であり、この世に存在するすべてのものなのです。だから、もう何も必要としなくて良いのです。たとえ神さえも。私には見捨てられたという思いはなく、前より力強くなれた気がしています。萎縮したのではなく、大きくなれた気がしています。見捨てられたのではなく、迎え入れられたのです。 「あなたに神は必要ない」という言葉で私は何かを失ったのではなく、手に入れました。私の魂は制限されたのではなく、大きく広げられました。そして無限の可能性と自由を与えられたのです。私が思いつく限りの最高の方法で、私自身を表現するという自由を。 ニール・ドナルド・ウォルシュ _____________________________________________________________________ CwG Weekly Bulletin #165より抜粋 日本語翻訳: HTジャパン翻訳チーム 岩本三千代/近川 満...
HTJT
2006-08-03T01:00:39+09:00
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CwG読者からの質問
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000098.html
< CwGウィークリー#162より 読者の質問 > 親愛なるニール 私は「神との対話第一巻」を2000年1月に初めて読みました。読み終えた後に感じたそのすばらしさを、決して忘れることはないでしょう!人生において初めて神を本当に知ったと感じました! 私は続けて2巻、3巻、そして「神との友情」を読みました。そしてそれら全部を家族や友人たちとシェアしました。 ところが残念なことに、私の生活・・大学と仕事が時間を全部奪ってしまっているような状態で、6年近くたった今、自分が轍(わだち)にはまって抜け出せないように感じています! 「神との対話」シリーズを初めて読んだ時のようないい感覚と考えに戻るために、私に何ができますか?どんなアドバイスでも大いに感謝します! ヘイディ 親愛なるヘイディ・・・先ず、分かりきったことをして下さい。もう一度それらの本を読むのです。第一巻から始めて、そのまま読み進んで下さい。第二に、読む本の中に「神との対話」シリーズの最新刊である、「新しき啓示」、「明日の神」、そして「What God Wants: 神が求めるもの」、を必ず含めて下さい。第三に、スタディー・グループを始めて、この教材について教始めて下さい。「私たちは、自分が学ばなければならないことを教える」ということを覚えておいて下さい。第四に、CWG財団のLEP(ライフ・エデュケーション・プログラム)のどれかを受けることを真剣に検討して下さい。(時間と料金によって、いくつかのレベルがあります。www.cwg.org を開いて「Education」をクリックして下さい)。第五に、無料配布本、「聖なる体験The Holy Experience」読んで下さい。www.nealdonaldwalsch.com でダウンロードできます。第六に、パート・オブ・ザ・チェンジのキャンペーン(www.partofthechange.com )に参加して、「パート・オブ・ザ・チェンジPart of the Change:スピリチュアル・ヘルパーになるための10のステップ」という名の小冊子を読んで下さい・・これも無料でダウンロードできます。そして最後に第七として・・要するに、私たちの惑星のスピリチュアル・ヘルパーになることです、ヘイディ! 愛と抱擁を・・ニール === === === === === === ニール、 あなたは、あなたができる目一杯の仕事をまっとうし終えたのですか?あなたはそのメッセージに没頭するあまりに、そのメッセージとそのメッセンジャーであることに拘るあまり、もうそのメッセージの次の章を見たり伝えたりできないのですか? 今が別のメッセンジャー、より若くて強力な誰かに、あなたの仕事を引き継ぐ時なのでしょうか? 「神との対話」の次の段階のための次のレベルの聞き取り能力のある誰かに? というのは、もしイエスが後継者を指名して、徒弟を指導していたとしたら?そしてその徒弟がまたその徒弟を指導していたら?そしてどんどん続いていたら。私たちは今どこにいるでしょうか?またもしマーチン・ルーサー・キング、ダヴィンチ、ガンジー、その他の人たちがそうしていたら?私たちは今どこにいるでしょうか? 思いついたことを書いただけです。 ニューヨークのリチャード 親愛なるリチャード・・・とてもいい質問をありがとう。私の答えはノーです、私は自分ができる目一杯の仕事をまっとうしたとは思いません。たとえば、私の次の本である「神と共に暮らす家HOME WITH GOD」では、これまでの「神との対話」シリーズのどれにも語られなかったことがとてもたくさんあり、多くの人たちに慰めと新しい理解をもたらすでしょう。そしてそれは私の仕事がどう続いていくかの一例にすぎません。リチャード、私が新しい人と話す度に、「神との対話」の教材によってもたらされたメッセージを、よりクリアーにすることができる可能性を感じて、私の仕事は続くのです。私がウィークリーで新しい質問に答える度に、私の仕事は続きます。私がリトリートやワークショップで霊性を求める小グループと共に座る度に、私の仕事が続きます(今年の最後の週、クリスマスと元旦の間の一週間に再び行うリトリートのように)。ですから、リチャード、違います、私は今が引退する時だとは思いませんし、今後もそうするとは、これっぽっちも想像すらできません。 しかしここで、リチャード、私が徒弟を指導することについて、あなたに心から同意するということを言いましょう・・あなたがあげた多くの他のメッセンジャーたちがしなかったことを。実際には、私は一人以上の徒弟を指導することを選んでいます。ライフ・エデュケーション・プログラムという、私が2年前に始めたこと、そして財団のスタッフの一人である、レイチェル・ケネディーが創ったものがそれです。リチャード、CWG財団はあなたが分かっているのと同じ必要性を感じています。そして心からあなたに同意しています。私たちは「神との対話」のメッセージを伝えるために・・そしてあなたの言うように、人類全体を次のレベルに連れてゆくための新しいメッセージ、より大きなメッセージをもたらすために、もっと多くのメッセンジャーを本当に必要としています。 そういう理由で、自分がそのメッセンジャーだと思う人たちがwww.cwg.comを開いて「Education(教育)」をクリックし、もっと詳細を知ってくれることを希望します。そしてもちろん、LEPに参加した人が、必ずしも新しい霊性のメッセンジャーにならなくてはいけないとされているわけではありません。あなたが知っている通り、リチャード、誰でも、いつでも、この役割を択できます。しかし別の人が現れるために私が姿を消す必要はありません。他のメッセンジャーたちが前進するために、私が二度と消息を知られることなく、静かに去っていく必要はありません。私たちがみんなで一緒のことを同時にはできないかのように、別のメッセンジャーに「私の仕事を引き継ぐ」ということが重要なのではありません。大切なのは、他の人たちもまた、彼ら自身に示された新しい形で、このすばらしいメッセージを伝えることができるよう、私が励ますということです。 ですから、私の個人サイトには、人々がまさにそれをするための場を創りました。www.nealdonaldwalsch.com を見てください。そしてそこのメッセンジャーサークルに行ってください! 質問を投げかけてくれてありがとう、リチャード! 愛と抱擁を・・・ニール...
eiko
2006-01-04T14:46:46+09:00
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裸の真実
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2005年10月14日の週 〔諸般の事情により、先週のトピックの続きは来週に載せることにします。皆様のご理解をお願いいたします。 編集者ジョアンナ・ガブリエル〕 親愛なる友人のみなさん... たった今【奇跡】が起きています。そしてそれは災難の連続のように見えます。 【奇跡】は私たちの眼前で起きているのですが、私たちの裏で何かが進行中で私たちの油断の隙を突いているように見えます。 起きていることとは私たちの文明の変容です。私たちはようやく「文明化」するのです。 文明は未開であることがもはや受け入れられず、望ましくなく、あるいはそれではやっていけないことが明らかになった時に開花します。文明化した行動は、大変動の時期に奇跡的に、自発的に現れ、そして文明化の特徴がそれ自身を顕わにします。大惨事は私たちの最悪の部分と最良の部分を呼び起こします・・そしてその両方を充分に観察して、私たちは古い小さな自己の無慈悲さから急反転して、私たちのより善き本性が花開き、新しい大きな自己を完全に顕わす状態へと入っていくのです。かつて私たちが這いずり回ることしかできなかった場所で、今私たちは飛び立つ準備ができたのです。 これは芋虫の時期が終わり、蝶が生まれる変態の瞬間です。前者にとって災難だと思われることが後者にとっての奇跡であることが明らかになります。 地球上でたった今起きている事は人生を経験する新しいやり方が出現しつつあるということです。ある意味で新しい人生/生命の形そのものです。この変態の奇跡は数年にわたって起こります・・地球物理学的な時間で言えば、一方向に延伸された瞬間です。宇宙的な視点から見れば、それは一瞬のまばたきです。 その瞬間は2004年12月にアジアの円環の津波で始まりました。それは2005年にも続き、アメリカをハリケーン・カトリーナとリタがそしてメキシコ南部と中央アメリカをハリケーン・スタンが襲いました。(この信じがたい2005年のハリケーンの季節はこれを書いている今も続いています。まだ一ヶ月以上もシーズンが残っているのにビンスと名づけられた今季20個目になる嵐がやって来ます、そしてスペインでは史上初となる熱帯低気圧が上陸しました。) その瞬間はヒマラヤ地域のカシミール地方の地震において自身を再び顕わにしました、そしてそれは個々の場所を超越しすべての国境を無視するための準備をしているように見えます。それは鳥インフルエンザの世界的流行が、もしそれが人間に移ったら何百万人もが死ぬという、はっきりとした可能性として見せつけています。 私たちの地球が様々な形でバラバラに崩壊しつつあるように見えます。これらの出来事を終末の証拠だと言う人たちがいます・・神がとうとう人間たちの邪悪さに復讐するために破滅を引き起こしていると。しかしこれは神の復讐ではありません、神の祝福です。これは試練ではなく、変容なのです。私たちの地球はバラバラに崩れてゆくのではありません、初めて一緒になりつつあるのです。 あなたは気が付きましたか?これらの天災は世界を一つにしたのです。アメリカは津波がインドネシアを・・大部分がイスラム教徒の地域です・・破壊した時に、弔意を表して援助を申し出ました。イランはカトリーナがアメリカを・・おおむねユダヤ・キリスト教国家です・・破壊した時に弔意を表して援助を申し出ました。 この奇跡が起きる時に多くの人が死んでいきます。無意味に死ぬ人は誰もいません。そして自らの意思に反して肉体的生命を離れる人は誰もいません。超意識のレベルでは皆、奇跡が展開することを可能にするために自らの生命を使うことを選んだのです。 すべての死が奇跡という灯火を燃やします。その奇跡は生命と呼ばれます。死は生命を生み、奇跡を可能にします。すべての死は、このように、贈り物なのです。死なくして生命は継続できません。これは宇宙全体の真理です。天の死にゆく星、そして地上の死にゆく植物、動物、あるいは人についての真理です。 あらゆる形の生命は新しい生命を形成するために死にます。死ぬためのほかの理由はありません。この理由以外のために死ぬものは何一つありません。したがって、死は生命の終わりではなく、始まりなのです。死ぬ誰もがそして何もが生き続けることをしくじったりはしません。単に別の方法で続けるだけなのです。 みんなが蝶なのです。 霊的領域において、別の方法で生き続ける者たちは神との再融合という至福を経験します・・神、それは生命の純粋な本質、存在するすべてのすべて。そして彼らは、私たち皆が天国として想像してきた驚異的な歓喜と出会いながら、栄光のうちに彼らの進化の旅を続けます。 あらゆる意味において、今私たちの惑星を訪れているこれらの惨事をとりまいている死は、地上を去った者にとっても残った者にとっても両方にとって祝福なのです。 こう言うと冒涜のように聞こえます・・しかしすべての偉大な真理は冒涜として始まります。そしてあらゆる偉大な奇跡は惨事として始まります。そうでなければならないのです。なぜならば惨事がなければ、奇跡は必要ないからです。(あるいは可能ですらないのです。) 惨事は奇跡のための舞台を整えます。それは奇跡の一部なのです。 ですから、近頃の地球を【惨事の日々】の表れとしてではなく、【神性の日々】の表れとして見て下さい。というのは、生命はそれ自身のプロセスを通して生命についての情報を生命に伝えるのですから、そして私たちは私たち自身に自己について伝えます。私達は、それにより真の私達として自己を知ることになるからです。 これは信仰を失う時ではありません、それを見つける時です。奇跡を期待する時ではありません。それを実行する時です。 それでは私たちは、正確に言うとどんな奇跡を実行するのでしょうか? それは愛の奇跡です。真心を込めて与えるという行為を通して、純真な奉仕の瞬間を通して、熱心な祈りの時を通して実体となる奇跡。これが、何千人もの人が亡くなり、何十万人もの人の住居を奪い、何百万人もの人に影響を与える、世界を揺るがす大災害の最中に私たちが互いに与え合わなければならないことです。 多くの人たちが既にこれらの奇跡を毎日実行しています。私たちは私たちの最高の考えをこれら混乱のさなかにある人たちに送ります。私たちは必要としている人たちに贈ります。私たちは瞑想をし、祈り、そして世界を光で包みます。私たちは私たち自身をひとつの家族として見ています。私たちは、真に私達皆がひとつであることを経験します。 人類は、これまでに抱いた自身の最高のビジョンの最も壮大な次のバージョンにおいて、自身を新たに再創造している過程にあります。そのような巨大な再創造の時には、先立って大混乱が起きます。既に述べたように、ある人たちは人類が全体として進化を続けられるように、肉体としての生命を提供します。私たちはそれを行った人たちを、私たちという存在の内の最高の場所に抱きます。私たちは彼らのより高い目的を分かり、そして私たち自身の贈り物で・・それは新しい世界の建設・・彼らの贈り物を称えます。 私たちはこれを、現在の災害の数々を「悪からの救出」として受け止めることによって行います・・これらの災害が、私達自身で考え出した「邪悪」というものから救ってくれるものだとして。なぜなら私たちこそが永遠の王国であり、力と栄光だからです。私たちのみがそれを創り、使い、そして互いに授けるのであるならば、そのようにして私たちの内にある神を、私たち自身である神を、そして私たちを通して真に「神を知る」に至るのです。今、そしていつも、そしてあらゆる道において。 世界は今あなたを必要としています。もし私たちの世界で起きている事をこのように理解することがあなたにできるなら、世界はあなたが必要なのです。今が、あなたがメッセンジャーになるために行動する時なのです。というのは、すべての人が今起きている事とこれから起きることを理解するわけではないからです。すべての芋虫がその繭から出現する前に奇跡を理解するわけではありません。 あなたは今、行動してください。家族を失った人たちに慰めを、苦難の中にある人たちに助けを、混乱している人たちに明晰さをもたらして下さい。そして他の人に理解をもたらす人たちを支えて下さい。 奇跡を説明するために・・そしてそれを生きるために、世界規模の活動の中で、お互いを見つけ出し、お互いに支えあい、そしてお互いと共に行動して下さい。 祝福があらんことを、そして善き旅を。 ニール・ドナルド・ウォルシュ ************************************************************************ 「人類は21世紀のジレンマを 1世紀の手引書を用いて解消し続けることはできない ・・ましてやそれ以前のものは言うまでもないことだ。 それは21世紀の手術室に 1世紀の治療器具を持っていくようなものだ。 明日の道徳的、倫理的、社会的な課題を...
eiko
2005-12-31T22:50:07+09:00
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何がそうだというのでしょうか?
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2005年10月7日の週 親愛なる友人のみなさん、 先週のウィークリーに私は真のスピリチュアル・メッセンジャーの役割についての記事を載せました。それから先日ロンドンでデイリー・テレグラフ紙を手に入れて、このマドリッド発の記事を見つけました... 「体に痕を残さずに妻をたたく方法という本を書いたイスラム教司祭がスペインの裁判官によって、この国の憲法を学ぶように命令された。」 「裁判官は、南部のリゾートのフエンジロラにあるモスクの司祭であるムハメド・カマル・ムスタファに、6ヶ月間憲法に関する3つの記事と世界人権宣言を学ぶように言い渡した...」 「4年前に発刊されたイスラムの女性という本の中で、彼はイスラムの法によれば、言うことをきかない妻はたたいてもよい、と書きました。」 「打撃は細くて軽い棒で手と足に集中しなさい、そうすれば傷跡や打痕を体に残すことはないから」、と彼は書きました。 このようなことを見るたびに、私はいつも人間というものがとてもとても悲しくなります、なぜならば何百万人もの人たちが、神が求めるものについて誤った指導を受けているからです。私達は、神の名において他のほとんどいかなる理由よりもより残虐な行為を互いに行い、より多くの損害を互いに与えてきたのです。 私はこのようなことを目にした時に大声で問いたくなります、21世紀に生きる分別ある人間が(そのようなことに対しては、どの世紀であろうとですが)どうしたら「従わない」女性をたたくことがいいことだ、などと本気で信じたりできるのか? それから私は、数年前にフロリダの家族計画クリニックに行き、駐車場で、中絶を行っていることで知られた医師を殺した男のことを思い出します。その男は、生まれてくる命を護るために必要なことは何であろうとも行う権威を神が彼に与えたのだから、彼の行為は許されると言いました。 そして私は、2001年9月11日にアメリカのビルに飛行機を突入させ、「神は偉大なり!」と叫びながら自らをそして何千人もの罪なき人々を灰に帰した若者たちのことを思います。 そして私は十字軍のことを思い起こします、カトリックの法王がキリスト教徒の軍隊に地方に進軍して、キリストへの信仰を告白しない人間をその場で殺すよう命令を出した時のことを。このことは200年間続きました。その間後継の法王は誰一人それを止めませんでした。 今私たちは新世紀の最初の四半世紀を深く進みつつあり、人類は自身について決断しようとしています。私たちは毎日個人としてまた種として、私たちは何者かそして何者になることを選ぶのかを、選択しています。そして私たちがそれを行うときに、私たちは、自分の宗教が夫に従わない女性をたたくことを是認していると本当に信じて教えている、誠実な精神的指導者が(一人以上いることは疑いのないことですが)実際にいるという、とてつもない悲しみに向き合うことになります。 すでに述べたように、私は先週ここでスピリチュアル・メッセンジャーの適切な役割について思いを巡らせました。それが正確に何であるかについて完全に明確にできたとは言えませんが、しかしそれが何ではないか、ということについては、いくつか考えがあります... 私は今週、私の個人のブログで豊かさについて書きました。それは先週末にロンドンで終日行ったセミナーで私が伝えたテーマでもあります。私はここで、その時に聴衆に話したことの一部をお伝えしたいと思います。なぜなら私はこのウィークリーへのレターで個人的な豊かさについて、また、それをどうやって達成するかについて質問をよく受けるからです。 皆さんにお話したいのは、私達は皆、自分の人生は私達自身とは何の関係もない、ということを理解することが、とても大きな利益をもたらすものになるだろうということです。私達の人生は、私達が触れる、自分以外のすべての人の人生と関係しているものでなければなりません。そして、それが豊かさの秘訣なのです。 真の豊かさを経験するためにはあなたは身体の課題・目的(自己の生存)を無視して、魂の課題・目的に集中しなければなりません。私が見るところ、今生で魂の課題に注意を払うことに多くの時間をかけている人は非常に少ないのです。しかし、人類がまだ行ったことのない場所に行くために飛び立つ準備ができている少数の人たちがいます...(ジーン・ロッデンベリー、この表現をありがとう) 皮肉なことに、あなたが、人生とは、自分自身や身体とは何の関わりもないと決めて宣言したとたんに、あなたが自分自身と身体のために手に入れようとしてずっと探し、渇望し、苦労してきたものが努力なしにあなたのところにやってきます。そしてあなたはそのことを気にもしないでしょう、なぜならばあなたはもうそれを必要としませんから。あなたはそれを楽しむでしょうが、それを必要とはしません。 なぜこのことが重要かというと、世界全体があなたについてくるからです。私たちはあなたを見つめています。私たちはあなたの真似をします。子供は親を真似ます。国は国を真似ます。私たちはお互いから手がかりを得ます。そして、時折、私たちの一人が踏み出してこう言ったりします。「そっちじゃないよ、こっちだよ」。ブッダはそれをしました。モーゼ、イエス、ムハンマドがそれをしました。そして今、私たちがそれをすることができます。しかし、あなたがこの世に来たのは、あなたが触れ合うすべての人たちと非常に大事なメッセージをすべてシェアするためだということを理解しなければ、あなたはそうしようとは思わないでしょう。 あなたが、ここに伝えに来たメッセージとは:「こんにちは...起きなさい。あなたは自分が本当は何者か知ってますか?」 時の初めから、私達がずっと求めてきたのは、ただ、愛し愛されることでした。そして私たちがこれまでに行ってきたのは、ただ、道徳による制約、宗教上のタブー、社会の倫理、家族の伝統、哲学の体系、私たちに誰を、いつ、どこで、何を、どうやって愛すればいいか、そして誰を、いつ、どこで、何を、どうやって愛してはいけないかを教えるあらゆる決まりと制約をつくることだけでした。いったい私たちは何をしているのでしょうか?! 真の豊かさとは私が持っているものとは何の関係もありません。それはすべて私の在りかたに関わっています。私の豊かさを私が触れ合うすべての人たちと豊かに分かち合う時、私が持とうとしていたすべてのことが、それを手に入れる努力をしないで、自動的に私のところにやって来ます。 あなたの豊かさや成功が、あなたのしていることから生まれるという考えに囚われないでください。あなたは走り回ってあれをし、これをし、あれこれをした挙句・・したことを積み上げるだけで終わるでしょう。 何もしていないのに豊かさが流れ込んでくるように思える人が、あなたの目の前にいるとしましょう。その秘訣は何でしょうか?彼は何もしてはいないのです。・・彼は何かで在るのです。 自分にふさわしい暮らしをするための道を探す時、何かすることを探すのは止めましょう。何かで在るためのものを探すのです。あなたの内の深いところに在って、あなたが本当は何者であるかを、そしてそれを呼び出すのに何が必要かを知っている部分に、在り方を通して触れて下さい。 内側を見つめて下さい。あなたが完全に満たされて完璧に自己実現できている時のあなたの在り方とは何でしょうか?それは賢明さもしくは明晰さかもしれません。官能的、創造的、慈悲深いこと、思いやり、あるいはユーモアのあること、運動選手かもしれません・・あなたにとってそれが何であるか調べて下さい。 問題はほとんどの人が人生で、自分がそう在りたいと強く願う人物像で在ることが可能だと思っていないことです・・それでは「生計を立てられない」・・ですから彼らは何か、より小さなものに落ち着くのです。しかしあなたの機会とは生計を立てることではなくて、人生を創ることなのです。 私が人々に、「あなたはお金を得るためになぜそれをしているのですか?あなたはそれが「」いやなんでしょ?」と聞くと、いつもこういう言葉が返ってきます・・「ほかに選択肢がないから」。すばらしき友よ、あなたに選択肢がなかった時など決してありません。あなたにはいつも選択肢が与えられているだけではなく、あなたはいつも選択をしているのです、あなたがある結果を生むため、あるいは避けるために最善と思う選択を。あなたが探したいと願うものは、真のあなたを決めることを助けてくれるような結果なのでしょう。 ある人たちはお金の犠牲になっていると感じています。彼らは人生のすべてについて、特にお金についてはいつも選択をしているということを本当に分かっていません。しかし人類の文化に共通している一つの問題は、大変多くの人がお金は悪だという考えを持っていることです。宗教が私たちにそう教えました。 私たちは皆、お金をかけて、本当にすばらしい好意を示してくれる人たちを知っています・・たとえば空港まで車で送ってくれたりして・・そしてそのことに対して金銭での謝礼を受け取らない人たち。彼らはあなたからの感謝を受け取ることは嬉しくても、あなたからお金を受け取りたくはないのです。ガソリン代ですらも。なぜなら、いいことをするのにお金をやりとりしたら、その好意がなにか汚されるように思われるからです。 私はアイク師がよく言っていた言葉が大好きです:「私はお金が大好きだ、そしてお金も私が大好きだ」。そう、それは偉大なメッセージです。私は、神はお金以外のすべてであるとは宣言しません。そうではなく、神はお金を含むすべてである。お金は私たちが神と呼ぶエネルギーの一つの形に過ぎません。しかし私たちは、汚い富、不浄な金持ちなどの言いまわしを使い続けています。私たちはお金を儲けることに何か不透明で汚いものがあると考えています。私たちはそれをセックスと同じカテゴリーに置いています。セックスとお金は人々が自分を楽しませる二つの方法ですから、私たちはその両方を「悪いこと」だと決めたのです。このようにして私たちはこの惑星と私たち個々人の人生に巨大な機能不全を創り出したのです。 私たちはなぜ人生のあらゆる局面において悪とマイナス面を見るように強調し続けるのでしょうか?それは何なのでしょうか?私たちは極めて重大な局面にいます。私たちは、本当はお金のことではなく、生命そのものに関わる最大の疑問を抱えて、突端までやって来ました。私たちは生命とそのすべての要素に本質的に悪を見るのか、それとも本質的に善を見るのでしょうか?私は近頃ずっと何度もその疑問に向き合っています。私たちは生命と再び仲良くしなければなりません・・そしてお金と仲良く。 どうしたらお金と仲良くなれるでしょうか?お金とは、それを使ってあなたがずっとしたいと思っていたすべての善いことを自分自身と他の人のためにするための、宇宙からの贈り物だとイメージして下さい。 しかしよく気を付けてください。他の人に善いことをしようとして、あなたを通して起こすことを可能にする頼もしい道具を自身から奪う方法として、自分の正しさ(正義)というものを使ってはいけません。正しくあるということ(正義)のために、大切なことを実際に起こすことができる、あなたという存在から力を奪ってはいけません。人間の経験における最大の陥穽の一つが正義です。それは他のどんな態度や経験よりも速く、成果を生む行動を邪魔してしまいます。それは私たちが理解しているという状態を阻害してしまいます。(訳者注:righteousness正義を動機にすると、それを絶対視して、思考停止状態に陥り、自分の在り方とは無関係になる危険性を指していると思われます) 私たちが時々人としてすることですが、ピンを並べて立てた後それをみんな倒してしまうというようなことがあります。私たちは、真の私達の一部を表し宣言することを可能にするための、まさにうってつけの完璧な状況を創ります。そして次に私たちはその状況が間違っていると決め付けてしまいます。マスターたちは何事に対しても決して非難したり判断(審判)をしません。彼らはただ、外部の状況が動いて変わることを可能にするために、彼ら自身の一部を表現することを求めるのです。私にはこのことがどんどん明確になってきました。そして私は過去数週間にわたって、私にこのことを思い出させるためにレターを書いてくれた教師やメッセンジャーたちに感謝したいと思います。 正義や審判を持ち出す瞬間に、いつでも、私たちの最も壮大な考えを表現することが邪魔されてしまいます。なぜなら誰も私たちの言うことをどうやっても聞かないからです。ですから人々に聞いて欲しいなら、いつも「愛を源として」いなければならないのです。 問題は、愛を源としているとはどんな「感じ」なのか?ですね。う~ん、そうですね興味深い質問ですね。これについては来週もっとお話できるでしょう。 ************************************************************************* <何がそうだと言うのでしょうか?> 「もしも、神がピラミッドの頂点にいてその権威を上から下へとラインを通して下ろしているのではないとしたら、そうではなくて、ライン全体に存在する力だとしたなら、したがって、ある意味で、そのラインそのものだとしたならば、大変多くの人間社会に築かれているトップダウンの、上に権力を戴く構造に何をもたらすでしょうか?...
eiko
2005-12-13T19:02:36+09:00
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その時が来た
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2005年9月30日の週 親愛なる友人のみなさん… これは複数回にわたる通信のパート2です。パート1については先週のウィークリー(#159)をみてください。 そして私たちは、一体全体ここで何が起きているんだと尋ねます?そしてもし本当に、私たちがこれ全部を創っているとしたなら・・なぜ?そしてどうやって?と。 (注:「これ全部」を私がどういう意味で言っているかについては、先週のウィークリーを参照してください) どうやって、は明確です。きょうの現実は昨日の意識によって創られています。意識が創ります。事実、それが意識の行うことのすべてです。 私が一週間前のレターで述べたように、私たちは皆三角形です。そして私たちは三つの面を持つ現実に生きています。私はいくつかのよく知られている例を使いました。父/息子/精霊・・体/精神/魂・・ここ/あそこ/あらゆるところ・・エネルギー/物質/反物質・・過去/現在/未来。私が言わなかった一つの三位一体の現実は・・天/地/人です。 そうです。私は天/地/人の三面構造とは全部でひとつのものだと言っているのです。実際に、生命で全部でひとつのものでないものは何もないのです。私たちは今・・ようやく・・神性なる自己の他の側面とつながり始め、それを経験し始めているのです・・それが今進行中のことなのです。それが、私たちがここで直面していることなのです。 私たちと神との間に、私たちと生命との間に、私たちと地球との間に、私たちの誰もが他の人たちとの間に分離はありません。すべてはひとつなのです。私たちは単一の現実に生きています。これ全部が実際に意味するところは何でしょう?それは単純です。私たちが考え、言い、そして行うことはこれ全部に影響する、ということです。 私たちの創造の影響は短期的にも長期的にも感じられます。人間のすべての考え、言葉、そして行為には創造する力があります。これらは創造の道具です。考え、言葉、そして行為は意識から生まれます。ですから意識が最初の創造力です。 別の言い方をしましょう:あなたが信じるとおり、それはあなたに為されるであろう。なぜなら、あなたが信じることをあなたは考えるからです。あなたが考えることをあなたは言うからです。あなたが言うことをあなたは行なうからです。考え、言葉、そして行為が純粋な意識から生まれます。 いかなることも、考えた瞬間に、私たちは創造し始めます。もちろん、創造のエネルギーは強くないかもしれませんが、そのことはものごとが動くように仕向けます。もし私たちが同じことを何度も繰り返し考え続けたら、私たちはそれに力を与え、どんどん現実に近づけていきます。もし何百、何千という人々が同じことを何度も繰り返し考えたなら、私たちは突然比べ物にならないスケールの話をしていることになります。それは大変力強いものです。ですからほとんどすべての宗教には・・「どこであろうと二人かそれ以上が集まるところでは...」・・という表現のそれぞれのバージョンがあるのです。 私たちはまた、言葉で結果を創造します。同じことを何度も繰り返し言うことで、私たちはそれにエネルギーを与えているのです。ある考えを話すと、私たちはそれに生命力を投げつけることになります。その生命力には創造する力があります・・それだけは忘れないよう心に刻んでおいて下さい。 私たちはまた、行為で結果を創造します。人間の行為の積み重ねが結果を創り出します。そしてこれが、ほとんどの人が分からないか、認めたくないことなのです。 顕著な例をひとつあげましょう:気象学者たちは今、湾岸地域で恐ろしいカテゴリー4や5のハリケーンを創っているものはその地域の海水の温度だと言っています・・それはかつて以上に暖かいのです。その高い海水温が空気を暖めて恐ろしく強力な嵐を創るのです。そしてなぜそれが以前より・・まあ10年から15年あるいは20年前よりも・・より真に迫っているのでしょうか?想像がつきますよね。 世界的温暖化です。 そして誰が、何が世界的温暖化を創ったのでしょう?分かっていますよね。 私たちです。 私たちが創ったのです。 さてそれでもこのことを完全に否定する人たちがまだいることは知っています。彼らはあなたがそのことを示唆するだけですら怒ります。私たちは自分自身から、そして私たちのそのことへの責任から逃れたいと思っています、それが非常に強いので私たちがそのことの原因であると示す証拠から正反対の方向に走り去るのです。 明白な事実は、私たちが地球物理的現象の地質学的総体にはかりしれないほどの影響を与えて、気温と水温を自然に起きるよりもずっと急速にそして高く上げる完璧な条件を創った、ということです。 そうして私たちは何十万人もの人がヒューストンから逃げ出して車のフロントガラスに向かって叫ぶのを見るのです。彼らは自らがすべての交通渋滞の原因となる中で身動きがとれず、12マイル(19km)を移動するのに6時間もかかるからです。そしてアメリカの中の怒りは膨らんでいます。私たちは誰に怒りを向けていいのか分かりません。しかし私たちは確実に非常に、非常にいらついています。 これ全部が人間性(Human Nature)と呼ばれます。しかし私はそれを人/自然と呼びたいと思います・・これは私たちの神性の自己の3つの側面のうちの2つです。・・天/地/人・・あるいはこちらの方がいいでしょうか・・ 人間/自然/神性。 来週・・もっとつながりについて話します・・そして結論を。 これは終わりの時なのでしょうか? いいえ。 これはおもしろい時代なのでしょうか? そうです。人間がこれまで向き合ったなかで最もおもしろい時です。そして私たちが集団として明日に創造するものは、私たちがどうやって創造しているか・・そしてなぜか、をどれだけよく理解するかにかかっています。 なぜについての予告編をこっそり覗かせてあげましょう... ハリケーン・リタがヒューストンにあるジョンソン宇宙センターに近づいていた時、ナサ(NASA)は職員を避難させました。その際司令室のコンピュータの電源を落として、国際宇宙ステーションをロシアの宇宙局に引き継いだのです。 このことから何がわかるのでしょうねぇ... さて、今週の次の話題に移りましょう。 「ポイディテ イン スプレメニテ スヴェト!」(Pojdite in spremenite svet!) 私は、この言葉と共に、スロベニアの中央部の東にあるラスコという都市のちかくにある小さな町、セリエの大きな映画館に火曜日の夜集まったすばらしい聴衆の人たちにさよならを言いました。その言葉は、「行きなさい、そして世界を変えなさい」という意味ですが、その発音を覚えるのに数分かかりました。しかしそうする価値がありました。聴衆たちは、私がこの表現を彼らの言葉で一生懸命言うのを聞いてとても喜んでくれました。(私は同じことを2日前にイタリアのミラノの聴衆にイタリア語で言いました。) 私はまた自分の本に「ズリュベズニヨ!Zljubeznijo」(愛をこめて)とサインをしました。そのこともまたサインを求める列に並んだ人たちに驚きと幸せの涙で歓迎されました。どこの人たちでも彼らの文化を反映する努力をする人を好きになってくれます。それは人々の心を開く最も速い方法のひとつです。...
eiko
2005-12-07T02:41:28+09:00
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私達にチャンスはあるのか?
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000094.html
2005年9月23日の週 親愛なる私の友人のみなさん、 今です。 あなたが気付いていないのなら、今がそうなのです。 私たちがずっと疑っていたこと、ずっと心配してきたこと、ずっと言われ続けてきた、その時が今なのです。 今こそすべてが変わる時なのです。 私たちが知っていた生活はもう続きません。実際には、「私たちが知っていた生活」はしばらく前に終わりました。私たちはそれに気付いていないだけなのです。あるいはそれを認めたくないのです。 今、それを認めないことはできません。それから顔をそむけることはできません。目を閉じることはできません、耳を塞ぐことはできません、それから逃げることはできません。 それはもうここにあります。その時が来たのです。 今はすべてが変わる時なのです。 このような時は以前にも来ました。人間は通常それが全面的にやってくるおよそ25-30年前に感知することができます。やがて起きる地震を知っている犬のように。わかるのです。それを空気に感じることができます。ですから私たちはそれを予言し始めるのです。現在、そして将来の時についての予言を私たちが聞き始めたのがおよそ25-30年前だったことに気付いてください。「終わりの時は近い」と私たちは言われました。「苦難の時はもうじきだ」と私たちは警告されてきました。 このような予言や予測はこの10年間に量も頻度も増えました、特にこの5年間はそうです。 これは世界の終わりなのでしょうか?違います。これは報いなのでしょうか・・結局、私たちが神の言葉を守らなかったことへの神の罰なのでしょうか?違います。それでは、本当になにが起こっているのでしょうか?なぜ人間は次々と異常な災害や胸を塞ぐ悲しみに直面させられ続けているのでしょうか?なぜ私たちはそのような終わりのない混乱に・・人災と天災の両方に・・服従させられているのでしょうか? それは、実際には、すべて人間が作り出したものです。ですから私たちはそれを予言できるのです。ですからそれがやってくるのを感知できるのです。それがビルに突っ込む飛行機であろうと、海岸に押し寄せて破壊する津波であろうと、都市に落とされる爆弾であろうと、あるいは無慈悲に陸地を鞭打つハリケーンであろうと、全部人間が作り出したものです。 いわゆる神の業といわれるものでさえも人間の作り出したものです。そうでなければなりません、もし人間と神が一つであるならば。神と人間が互いに別々だとしたときのみ、私たちは起きている事への責任を逃れることができるのです。そして神と人間が別々であると信じている人たちですら、これはすべて私たちのせいだとあなたに言うでしょう... ではここで何が起きているのでしょうか?何が進行中なのでしょう?私たちにこれらの悲劇の瞬間が訪れることが増えるにつれて、人間という肉体は知りたがります・・私たちは何を誤ったのか?なぜこれらすべてのことが起きているのか? 人々にものごとを説明するのは私たち・・あなたと私・・の役目なのです。あなたはそのことを分かっていますよね?もちろん、分かっています。あなたは完全に理解しています。そもそもあなたがここに来たのは、それが理由なのです。だからこそあなたはこの類まれなる時代に地球に身を置いたのです。あなたは他の人々が理解するのを助けるために、この張りつめた挑戦しがいのある時期にやって来たのです。あなたは苦しんで混乱している人々に慰めと明瞭な理解をもたらすために、自分の身をここに置いたのです。 あなたはみんなに、私たちが誤っているのではなく、私たちが原因であることを、知らせるためにここにいるのです。そしてもちろん、それが私たちの希望なのです。もし私たちが誤っているのなら、希望はなにもありません、なぜならば私たちはこれらすべてを自業自得、懲罰として見ることになるからです。それを見ている以外にすることはなくなってしまいます。船と共に沈み行くのみです。しかし私たちが起きている事すべての原因であるならば、そう、私たちはものごとを変えることができるのです。私たちは船を水平に立て直すことができます。進路に戻ることができるのです。 そうです、私たちにできます。しかしまず、私たちは他の人々に何がなぜ起きているのかを理解させなくてはなりません。そうすることによって、その変化を引き起こすために、彼らは自分の役割を果たすことができるのです。なぜならば変化、変容を創造しようとするなら、人類全体の意識とすべてのエネルギーの統合が必要になるからです。 ですから前途にある仕事は小さなものではありません。 ですから私たちはあなたを乗船させたのです。あなたの魂は偶然あなたをここに置いたのではありません。変化の時が来ました。リタ(ハリケーンの名)はその最新の現象です。さあ私たち次第です。あなたと私次第なのです。私たちはここからどこへ行きたいのでしょうか?人類よ、どこへ行く? あなたが、私がここで話していることをわかっていると確信しています。私は、これを説明される必要があなたにないことを確信しています。しかし他の人々のために、それが必要な人々のために、来週のレターはこの続きから始めます。それまでの間、暖かい心と大きな希望でありますように。世界は希望をたった今必要としています。そしてあなたはその源である人々の一人なのです。 ********************************************************************* <私たちにチャンスはあるのか?> 「ああ、わが息子よ、あなたにはチャンス以上のものがある。 あなたと、すべての神の子には成就させるべき幸せな運命がある。 そして私が与えたすべての力と驚異と栄光の贈り物を使って あなたはそれを成就するのだ。 あなたがたがその力を使わなかった時のみ、 あなたがたが自分が何者かという驚異を脇に置いて、 私の贈り物を捨て去った時のみ、 失敗するかもしれない。 あなたがたにとってそれはとても難しいであろう。 私はあなたがたが失敗することをとても難しくしたのだ。 なぜならあなたがたへの私の贈り物はとても特別なもので、 事実上失敗することが不可能なのだ。 あなたがたがこれまでに成し遂げてきたことを見てごらん! 非常にまれな確率で、あなたがたは自身を生まれさせ存在するものにした。 そしてあなたがたの種を自覚あるものへと導いた。 非常にまれな確率で、周りの世界についての充分な理解を手に入れ、...
eiko
2005-11-27T01:17:13+09:00
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力の存在するところ
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000093.html
2005年9月9日の週 親愛なる友人のみなさん… 近ごろ・・「今は政争にかまけている時ではない」と言う人たちを含め、ブッシュ政権を擁護する人たちがたくさんいます。それは私たちの目の前の現実から顔をそむけるためのすばらしい言い訳です。私たちの面前で起きていることについて人々が口をつぐまなければならないということを明確に考えることなしに、湾岸地域の救援と再建の努力を続けることができるのです。 ですから、ハリケーン・カトリーナの災害で起きた事すべてについて、私たちは何も言えないし、言うべきでないし、あえて言ってはいけないという考えは、「今の大統領と政府を決して批判してはいけない。そしてあなたが精神的な指導者ならば、当然いかなる政治的な話もしてはいけない。」ということの、まさに別の言い方なのです。 しかしながら…もうたくさんです。不手際はもうたくさんです、そしてガチガチの精神的な指導者であっても立ち上がって事実を話さなければなりません。 事実はこうです:ブッシュ政権とその擁護者たちは過去数日間繰り返し、ニューオーリンズの堤防が決壊し、そして恐ろしい洪水が流れ込むことは「誰も予測できなかった」と言いました。しかし米軍技術者団体が求めた、ニューオーリンズの堤防を修理し、維持し、改善する予算措置はブッシュ政権によって3年連続でカットされたのです。それらの、そして他のアメリカのインフラ整備のための予算は、ブッシュ政権が何度も何度も富裕層の減税やアメリカ中の企業の税優遇を行うために、カットされなければならなかったのです。お金はどこかから持ってこなければなりませんでした。 しかしブッシュ大統領と彼の政策担当者たちの目先のことしか考えない性格を、ナショナル・ジオグラフィック誌の並外れた記事ほど明らかにしたものはありません。これは私の友人のブラッド・ブラントンがインターネットで送ってくれたものです。彼のことは「徹底的正直さRadical Honesty」その他の本の著者としてご存知かもしれませんが、この中で彼は、私たちに勇気を出して真実を直視して、語ることを促しています。 ここにナショナル・ジオグラフィック誌の記事を紹介します・・おっと、これを読む前に・・この小さな警告・・この記事は2004年の10月に発刊されたのです! いいですか?2004年10月ですよ。今のような事態が起きることは誰も知りえなかったというブッシュ政権の主張ももはやこれまでです・・ 読んでください・・この記事は本当にあなたを激怒させるでしょう・・たとえあなたが共和党員だとしても・・ ***************************** ルイジアナの河口、アメリカで一番の働き者の湿地帯は、隣接するニューオーリンズ市の住民、そしてあらゆる場所のシーフード好きな人々にとって起きた悲惨な事態のために、大きなトラブルに見舞われています。 それはおおらかで、心配ごとを忘れさせる、ルイジアナのビッグイージー、ニューオーリンズのカンカン照りの8月の午後でした。外出するという冒険をした人たちは動きがハチミツの中で泳いでいるかのように感じました。家にいる人たちは、テレビの「暴風担当班」によるメキシコ湾のハリケーンを警告を見ながら、エアコンを発明した人にひそかに尊敬の念をはらっていました。 別に驚くことではありません:8月のハリケーンはアッシュ・ウェンズデイ(聖灰の水曜日)の二日酔いと同じく、この街の生活の一部なのです。 しかし翌日にはその嵐は蒸気を集めてその都市に狙いを定めたのです。 渦巻く暴風が沿岸に近づくにつれて、100万人以上の人が高い土地に避難しました。しかしながら、20万人が残りました・・車を持たない人たち、ホームレス、高齢者や動けない人たち、そしてパーティを開くためだったら何でも口実を探す、根性のあるニューオーリンズっ子たちです。 嵐は核弾頭級の凶暴さでブレトンサウンドを襲い、ポンチャートレイン湖に致命的な嵐の大波が押し寄せました。湖を保持している巨大な壁の上部に水がひたひたと迫り、そしてあふれたのです。ニューオーリンズの80%近くが海面より低いのです・・8フィート(2.4m)以上も低いところが何箇所もあります・・そして水が流れ込んできました。茶色い水の壁がジェンティリーのレンガ造りの牧場の家を、第九区の木造家屋を、ガーデン地区の白い柱の玄関を乗り越えて、黙示録の青白き馬に跨る「死」と名づけられた騎士のようにバーボンストリートのバーやクラブに押し寄せてきました。水が25フィート(8m)に達して、人々はそれから逃れるために屋根に上りました。 何千人もがやがて下水や産業廃棄物で汚染された濁った醸造酒のような水で溺れました。洪水を生き延びた数千人以上の人が救助を待ちながら脱水症状と病気で亡くなりました。ポンプで排水するのに2ヶ月かかりました。そしてそれまでにビッグイージー(ニューオーリンズの通称)は悪臭を放つ堆積物に埋まりました、百万人が家を失いそして5万人が死にました。それはアメリカ史上最悪の自然災害でした。 この災害はいつ起きたのでしょうか?まだ起きていません。でもこの運命の日のシナリオは根拠のないものではありません。連邦緊急管理庁はハリケーンのニューオーリンズ直撃をこの国の最も急を要する脅威の一つに挙げています、その中にはカリフォルニアの大地震やニューヨーク市に対するテロ攻撃も含まれます。赤十字ですらもはやこの街にハリケーンの避難所を設置しません。その理由として職員の危険が大きすぎることを挙げています。 「ルイジアナにとっての刺客は最悪の方角からやってくる、上陸72時間前にはカテゴリー3で、48時間前にはカテゴリー4に、24時間前にはカテゴリー5になる嵐です」とジョー・スハイダは言います、彼は30年間沿岸の研究をしてルイジアナ州立大学を退職した沿岸技師です。スハイダは現実の8月の午後、湖に面したレストランで座ってレモネードをすすりながら、この街のハリケーン防災のほころびについて語っていました。「私は人々が自分達がいかに危険であるかを分かっているとは思いません」スハイダはヨットが滑るように通り過ぎるのを見ながら言いました。「我々の技術はうまくいく時はすばらしい。だけどそれがだめな時は、ものごとをはるかに悪くしてしまう。」 そのような嵐がニューオーリンズを襲う確率はどの年をとっても低いです、しかし危険は増大しています。気候学者は今世紀に強力な嵐がより多く発生すると予測しています、一方では世界的な温暖化で上昇した海面が低い沿岸部をより危険にしています。「それが起きるだろうか、ではありません」、ニューオーリンズ大学の地質学者のシア・ペンランドは言います。「それがいつなのか、です」。 しかし殺人的嵐の危険が増大しているその時に、この都市の自然災害に対する防御は静かに溶解しています。ミシシッピの境界からテキサスにいたる沿岸線で、ルイジアナは防護の役目をはたす湿地と島々を、アメリカのどの地域よりも速く失いつつあるのです。 1930年代以来およそ1,900平方マイル(4,900平方キロ)の沿岸部の湿地が・・デラウェアと同じくらいの、あるいはルクセンブルグの2倍の土地が・・メキシコ湾の底に消えたのです。過去10年間に潮を防ぐために5億ドル近くをかけたにもかかわらず、この州は毎年25平方マイル(65平方キロ)の土地を失い続けているのです。およそ33分間毎に1エーカーです。 自然と人的要素が混ざり合って沿岸部を沈めているのです。デルタ地帯の土は時間をかけて自然に凝縮して沈みます。新しく堆積する層が沈下を相殺しない限り、最後には外洋に譲るのです。ミシシッピ川の春の洪水がかつてはそのバランスを維持していました。しかし毎年の大洪水はしばしば災害をもたらしました。1927年の破滅的な洪水の後、川沿いの堤防はかさ上げされてコンクリートで固められました。こうして湿地を形成する堆積物を効果的にメキシコ湾の深い海の中に流し込んだのです。 1950年代以来技術者たちは8,000マイル(13,000キロ)以上の運河を、石油探査と水運のために湿地帯中に掘りました。これらの新しい水路は湿地を巨大なジグソーパズルのように切り取りました。そして土地の侵食と海水が汽水と淡水の湿地帯に浸透するのを増大させました。 そのような損失が河口を愛するルイジアナの人々の心を直撃する一方で、それはまたアメリカの市民全員の財布を直撃します。ルイジアナにはアメリカで最も働き者の湿地があります。河口、湿地、防護の島々といった水の世界はこの国の三分の一の石油と四分の一の天然ガスを生産したり運んだりしています。そして漁業の水揚げはアラスカに次いで二番目です。野生生物の生息地としては、比較すればフロリダのエバーグレーズ湿原がペットの動物園に見えるくらいの広大なものです。 それほどの利害がかかっているので、ありえないような仲間たちが・・科学者、環境グループ、ビジネスのリーダー、そして米国陸軍技術者団体・・残されているものを守るための抜本的な計画を生み出すことを余儀なくされたのです。一年前に作られた技術者団体の素案では、ルイジアナ沿岸地域(LCA)プロジェクトは当初、向こう30年間で140億ドルにものぼると見積もられました。それは現在のエバーグレーズ湿原を救う努力の2倍にものぼります。 **************************** さて、以上がナショナル・ジオグラフィック誌の記事です。以下にこの記事に続いて送られてきたブラッド・ブラントンのコメントの一部があります: これはこの4年間に存在する警告をまとめたもので、ほぼ一年前に書かれました。これは現実的準備ができていない状況とは、何が重要に見えて、何が重要でないかが分からないことからくるものだという見本です。 私が重要だと思うのは、環境意識がなく利益には意識が向いていて、そして他に優先事項がある人たち(金持ちのための減税やイラクでの戦争のような)の微妙なふるいにかかると、この非常に現実的なそして長い間存在している脅威を自動的に簡単に見過ごすということです。 この記事を書いた人のような人材こそが連邦緊急管理庁(FEMA)を率いるべき類の人です。人生におけるマネジメントの経験が・・馬主協会と仲良くやっていくことだけのようなブッシュの相棒ではなく。 私たちはこれらの巨大な一枚岩の事業家たちを政府からたたき出さなければなりません。そうしなければ私たちはみな、「何が起きているんだ、そして一体なんで私はこの中にいるんだ?」、と問い続けることになるでしょう。 ブラッド ==== ==== ==== ニューオーリンズとアメリカの湾岸地域の崩壊は、私たちの集合的優先順位を再検討するよう叫んでいます。実際には懇願しています。富裕層への減税か?国のサービスとインフラのための予算カットか? 「神との対話」では、政治とは私たちの霊性が表現されたものだと言っています。私たちがこの国で決めた優先順位は私たちが最も堅く抱いた信念を反映したものです。私たちは、今こそ、これらの信念を再検討しなければなりません。私たちは真にひとつであるか?それはどういう意味なのか? これについては来週もっと触れます。 そしてそう、この私の小さな論説が怒りの手紙を呼ぶことを分かっています。精神世界の刊行物に実生活の問題を取り上げてはいけない。右翼で、政治的に保守的な牧師だけが、彼らの説教壇からそうすることができるのだ。ニューエイジと新思考運動のリーダーたちはそうすることを許されないのだ、と。でもこのウィークリーはします。そしてあなたもまたそうすべきなのです。これは何かに「対抗」しているのではありません。これは何かを「支持するために」していることなのです。しかし私たちが大々的に立ち上がって、たくさんの数の声で私たちが何を支持しているのかを叫ぶ、今がちょうどいい時なのです。 さっき言ったように・・来週もっと触れます。...
eiko
2005-11-17T23:36:16+09:00
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私は何者か?
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000092.html
2005年9月2日の週 大切な、親愛なる友人のみなさん… ニューオーリンズの惨禍はすべての人々に動揺を与えました。私たちの心は悲しみに満ち、魂は同情で溢れんばかり。そして私たちの知性は何かを、どんなことでもできることを探し求めています。 きょうも私はキーボードに向かいながら同じ答えを探していますが、私たちの未来の現実を創造する役割を担う宇宙の根源のエネルギーについて触れられている、「神との対話」の中のメッセージに何度も繰り返し引き戻されています。 すべての生命は振動です。そしてこの事実は私たちの人生において、今日聞くことのできる最高のニュースです。なぜならばハリケーンカトリーナに破壊され荒廃した地域周辺に今漂っている集合的振動に私たちが影響を与えることにより振動を変えることができるからです。このようにして、未来にもまた影響を与えるからです。 たった今、その地域にいる人々に何よりも必要なことは、この惨事に直面しながらも、神が気にかけて助けを差し伸べてくれるという希望を感じること、そして安らぎを感じることです。国家災害対策の担当者の、「今回起きた自然災害はアメリカ合衆国史上最悪だ」という報告により、この悲劇の大きさはより明確になりました。 私たちは皆、たくさんのいろんな方法により、この出来事に影響を受けた人たちに希望と安らぎと援助をもたらすことができます。これがあなたのこの世での目的だということを心得てください。これがあなたの役割なのです。これがあなたの存在理由なのです。 このように動揺している時に、自分が何者であるかをちゃんと知り、太古の人々と先祖たちから頼りにされ、呼びかけられてきた私たちは、この瞬間に、闇に支配されてしまった場所に、「純粋な光」による瞬時の癒しをもたらし、闇の支配を解き、かすかな夜明けの兆しをもたらすのです。 私たちはこれを「神との対話第一巻」に説明されている3つの道具を使って行うことができます:「思考」、「言葉」、そして「行為」です。 1.好ましい考えと、すばらしい思い・・それを考えるとき、思うとき、こんなことはばかげていて無意味なことで、実体がなく、何ら価値あるものをもたらさないなどと想像しないでください。明らかに真実はまったくその逆です。今私たちにとって必要なことは、ニューオーリンズとハリケーンカトリーナの被害を受けたすべての都市の周辺に平和と力と可能性の防御線を打ち立てることです。これらの地域や人々を光で包んであげましょう。彼らに神の愛と天の安らぎが降り注ぐのをごらんなさい。天使の存在を確信して、善き事が来たること、そして傷を癒し、今この瞬間にはとても乗り越えられそうもないように思える問題に対して、解決をもたらす奇跡が起きるという確信を持ち、彼らが安全で守られていることを心に描きましょう。個人やグループで、奇跡を起こす可能性の空間を創るエネルギーを打ち立てるために、イメージ誘導、ビジュアライゼーション(心象化)、瞑想、そしてあなたが知っているいかなる道具や装置をも使ってください。 2.あなたの友人や親戚などのコミュニティに、私たちみんなが手助けできる現実的な方法を伝えて、それを広めてください。個々に、または一緒に活動できるグループを作ることに加えて、他にも助けになるたくさんの方法があります、それにはもちろん募金や他の資源も含まれます。人々と協力してください。あなたの個人的な知り合いの方々と。援助ネットワークを始めましょう。皆に広めましょう! 3. http://www.redcross.orgで寄付ができます。たとえ5ドルでも助けになります。実際に、もしみんなが5ドルずつ寄付してくれたら、何百万ドルにもなります!できれば、その他の支援も提供してください。毛布、保存食品、そしてあなたの時間さえも必要でしょう。ウェブサイトを調べて何が求められているかチェックしてください。 これらのすべての活動を一生懸命に行ってください。支援の源動力に、終りなき愛の船になりましょう。このニューオーリンズの危機は何週間も続くことでしょう。もしあなたが他に援助できる方法を知っていたら、私たちに伝えてください。ここで、お知らせします。 編集者注:援助の一例として、私たちは今日から、9月5日(月)の深夜12時までに売り上げた、我々のウェブサイトの一掃セールの収入全部を赤十字ハリケーン救援基金に送ります。 たくさんの祝福を、ニール ****************************************************************** 「あなたがたは、新しい文化の物語を創るだろうか? 創ることができるだろうか? 他のすべての神話のベースとなってきた、 『最初の文化の神話』を新たに創り直すことができるだろうか? 人類は、本質的に善なのか、それとも悪なのか? あなたがたは、その岐路にやってきたのだ。 人類の未来は、どちらの道をあなたがたが行くかにかかっている。 もしもあなたがたと、あなたがたの社会が、 自分達は本質的に善だと信じているなら、 あなたがたはきっと、生命を肯定する、建設的な決断や法律を選ぶだろう。 もしもあなたがたと、あなたがたの社会が、 自分達は本質的に悪だと信じているなら、 あなたがたは、生命を否定する、破壊的な決断や法を選ぶだろう。 生命を肯定するような法律とは、あなたがたが望む在り方であり、 望む行ないや望むものを手にすることができるような法である。 生命を否定するような法律とは、あなたがたが望む在り方を止め、 行ないを止め、望むものを手にすることを止めさせるような法である。 『原罪』を信じる者達、そして人間の本質的性質は悪だ、と信じる者達は、 あなたがたが望むことを止めさせるような法を作ったのは神だ、と主張し、 同じことをするための法律(それも無数に)を奨励する。 『原祝福』を信じる者達、そして人間の本質的性質は善だ、と信じる者達は 神は、自分達が望む通りにすることを許す自然の法則を作ったと主張し、 同じことをするような法を奨励する。 あなたは、人類についてどのような視点を持っているのか?...
eiko
2005-11-09T16:01:05+09:00
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神と踊ること
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000091.html
2005年8月26日の週 親愛なる友人のみなさん… 最近私はシャーマン・トランス(http://www.shamantrance.com)のティム・サリバン氏のインタビューを受けました。そのやりとりの一部をここでシェアしたいと思います。 ティムの質問から… ティム:人はどうしたら神と自分自身との一体化を意識できるようになるのでしょうか?単に知性で分かるだけでなくて、最も奥深い心の底で、魂が満たされる方法で? ニール:この質問に関してすべての人に当てはまるたった一つの答えはありません。もちろんそれは人類が直面している最も深遠な質問でしょう。誰もがその答えを知りたいと思っています。他の人から明確な答えを得られる人がいない理由は、質問をしている人に適う答えが何かを誰も知りえないからです。一つのサイズですべての人にフィットするような答えはないからです。 私は、時、場所、相手によって、非常に多くの違う返答をすることができます。瞑想は一つの方法です。瞬間瞬間の経験に注意を払うことはもう一つの方法です。第三の方法は他の人にそれを経験させることです・・他の人が神性とのつながりを経験する媒介となることにより、あなたもあなた自身と神性とのつながりを経験するという方法です。それらの他に500もの答えを考えつくことができます。 しかしながら、すべての人に当てはまるであろうと言える何かがあるとすれば、【それは】そうしようという意思をもつことだけだと思います。神性との深いつながりを経験するための、神性とひとつであるという(ワンネスの)感覚を経験するための意思に満ちた状態なってください。もし私たちが、そのようなことが可能である、そのようなことが実際に真実であると信じる意思を持てば・・それはそのことが真実である可能性に抵抗することを止めることですが、そうすれば私達自身によって、その経験自体が私たちに引き寄せられると思います。私たちはいつも、全員が、その経験を自分達に引き寄せています。 私たち自身の神性を経験すること、それは、人生のすべての瞬間に私たち皆がそれに向かって進んでいくという経験です。しかしそれにはとても大きな抵抗があります、なぜならば私たちの文化的な物語が、そんなことが真実であるはずがない、と言うからです。そんなことを深く考えることすら、ましてや私たちを通して神性を表そうだなんて、傲慢だ、霊的に不適切だ、等々、と言われます。私たちの文化のすべてが私たちは神性から分離していると語りかけます。私たちは、私が「分離の神学」と呼ぶ人間の現実を築き上げたのです。その分離の神学が、あらゆる人々があなたの述べた経験に自由に入っていくことを非常に難しくしているのです。 私はこのことを、2005年の3月に発行された、私の最新の本、「神が求めるものWhat God Wants」の中でかなり詳しく語っています。この本はまさにこの主題の論説なのです。その真髄は、「分離の神学」と「一体の神学」との違いを議論し、私たちが神性と一体になる(ワンネスの)経験に入っていくことが、人間の経験としてなぜそれほど難しいのか、ましてや日常生活においてそのことを表現することの難しさを論じています。私が呼びかけているもの・・そしてもう一冊の本、「明日の神Tomorrow’s God 」の中で幅広く議論していること・・私がこれからの25年から30年の間に呼びかけていることは「分離の神学」から去っていくことです。私はこれらの言葉の頭文字を大文字で書きましたが、それはこの勇気ある運動がいかに重要であるかを示すためです。 「分離の神学」は過去の神学です。それは「昨日の神」の神学です、それは神が向こうにいて、私たちがこちらにいる、そして両者は決して出会うことはないと主張します。「一体の神学」は「明日の神」の神学です。それは私の一つ前の本の題名です。その本は「昨日の神」と「明日の神」との違いを述べて、そして「新しい霊性」という言葉で、やがてこの惑星に受け入れられるであろうこと、そしてすでに世界中の何百万人もの人に受け入れられ始めていることを語っています。 次の25年が過ぎる前に、私たちは神学を創り直し、宗教を創り直し、そしてある意味では、神を創り直すだろうと、疑いなく予測しています。そこから出現するものは、私たちと神性との関係の新しいバージョンでありましょう:すなわち、あなたが今ここで話している経験に入っていくことを、ようやく許してくれるようなバージョンです。それは、神性の経験そして「すべてであるもの」との一体化(ワンネス)の経験、そのことを恥じたり困惑を感じたりすることなく、ましてや冒涜や背教を犯していると感じることのない経験です。 ティム:神性との真に親密な一体化の認識に至るのに一つの道しかないというわけではないのは確かです。しかし、私が思うのは、先住民の文化の真の美しさのひとつは、たとえば北米の先住民の部族文化などですが、彼らが日常生活のすべての面において神性が反映されていることをいつも感じる意識を発達させたことです。彼らは彼ら自身が、お互いが、そして彼らの周りのすべてのものが神性の聖なる反映として見たのです。 ニール:それは彼らの神学が、もしそう呼べるならですが・・あるいは彼らの信念と呼びましょう・・現代のそしていわゆる「文明化された」文化と目を見張るほど違っていたからです。それらの先住民の文明の信念は非常に単純です。彼らの文化的物語では神と生命は決して分離していなかったのです。分離の文化的物語はありませんでした。ですから彼らは生命と神、あるいは「生命」という言葉と「神」「神性」という言葉は彼らにとってまったく同じ意味であるという経験をしたのです。ほこりは神、虫は神、海は言うに及ばず、あるいは他の人々やなんであれ、すべては生命の一部、生命そのものです。 その理由は、そのような先住民の文化は神と生命は分離しているというメッセージに害されなかったからです。宣教師達は生命と神との間に大きな隔たりがあるというメッセージを伝えました。彼らは、神は生命ではなくそれを創造したものであると教えました。神は生命そのものではない。したがって、生命と神との間に大きな隔たりがあると。 先住民の文化はその隔たりを決して経験しませんでした、そのような文化的物語を決して受け入れませんでした。なぜならば彼らはそのような根本的に違う見方にさらされなかったからです、彼らは始めから、生命そのものがあらゆる方法で敬われるべきものであるという理解を育てたのです。花を植えること、そして花を引き抜くことはなんの影響もなしになされることはないのです。完全な自覚があったのです。そのことは生命を生むこと、そして奪うこと、あるいは生命が死ぬことについての真実です。そしてその間にあるすべてのことについての真実です。 私たちがここで話し、描写しているそれらの先住民文化に共通する一本の糸があるのがわかるでしょう。その共通する糸とは:生命そのものへの畏敬の念です。【そこでは】「生命」という言葉と「神性」あるいは「神」という言葉をほとんど自由に入れ替えることができます。彼らは一つのものを他のものから分離したものとは見ません。そして、私たちが「新しい霊性」を創ることで向かっているのは、まさにその方向なのです。事実、それは太古の理解への復帰でありましょう。自分たちのほうがよく知っていると思った人たちが、生命から分離した神について教える前の時代への。 「明日の神:Tomorrow’s God」と「神が求めるもの:What God Wants」の本の中で私は、 「神とは、生命そのものである」という新しい定義についてかなり詳しく述べました。もし私たちが、神が生命であり生命が神である、そしてこの二つの言葉を完全に入れ替えることができるということを理解したならば、私たちは先住民たちが生きたように生きることでしょう。 インタビューからの引用はこれで終わりです、しかしこれが物語の終わりではありません。「新しい霊性」の新しい物語はあなたとともに始まります。そしてそれは今始まるのです。あなたの人生のきょうという日に、あなたのすべての行い、すべての考え、そしてすべての言葉にその法則を適用するとあなたが決断することから始まります。 さあ一緒に新しい世界を創造しましょう。 ***************************************************************** 「もし神が何も求めないとしたら、 それでは神を持つことの意味は何でしょうか? 神を持つことの意味は 神、そして生命そのものである、 その本質とエネルギーを使うことです。 そうすることで あなた独自の経験を創造することを可能にし、 それにより神であるものになること:つまり、創造主になることです」 - 「神が求めるもの:What God Wants 」187ページ ******************************************************************...
eiko
2005-11-03T12:46:10+09:00
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支配ではなく責務…
http://humanitysteamjapan.com/mt/archives/000090.html
2005年8月19日の週 みなさんこんにちは! よい8月でありますように! 今週は興味深いことをみなさんとシェアしたいと思います。私の知人のスティーブという人が最近インターネットにあるアイディアを載せました、それはアメリカを徒歩で行進して横断し、大都市をすべて訪れて、道すがら人々に参加を呼びかけて、ホワイトハウスまで行き、そこでキャンプをして、政府がアメリカの貧困、飢餓そしてホームレス問題に何か手を打つまでそこを去らない、というものです。 スティーブが彼のアイディアについて私の意見を求めました。私はきょう返事を書きましたが、それをあなたがたとシェアしたいと思います。 親愛なるスティーブ... 今日の世界が直面している最大の問題は政治的問題ではありません、それは経済的問題ではありません、そしてそれは社会的問題でもありません。今日の世界が直面している問題は霊的な問題です。それは人々が信じていることに関わることです。 あなたは違う場所を行進しています、スティーブ。ホワイトハウスに行進するのは解決策ではありません。行進して下さい。そう、デモ行進して下さい。あなたが望むのなら。しかし、アメリカのすべての大都市の教会の扉に向かって行進するのです。そしてまたすべての主なシナゴーグ、寺院、モスク、そしてあなたが見つけられるすべての主な礼拝所に向かって行進するのです。 現代のマルチン・ルターになって下さい。そして教会の扉に平和への5つのステップを貼るのです。 知ってのとおり、1517年にマルチン・ルターはドイツのヴィッテンベルグの教会の扉に彼の95箇条の提題を貼り付けて、宗教改革を始めました、それは宗教をそして世界を永遠に変えたのです。今は第二の大改革の時なのです。スティーブ。 現存の問題とはこれです:すなわち、私たちの宗教は「分離の神学」を教え続けることに固執しているということです。そしてアメリカや世界中の貧困、飢餓、そしてホームレス問題を私たちが許容し続けることを可能にするのが分離の神学なのです。 今ホワイトハウスを占拠している人々はそこに「置かれた」のです、スティーブ。誰によってでしょうか?アメリカの多数の人々によってです。そこに問題があるのです、スティーブ、ペンシルバニア通り1600番地にあるのではないのです。ホワイトハウスは問題の反映にすぎません。問題そのものではないのです。ホワイトハウスに行き、シンディー・シーハンを引っぱり出して、ホワイトハウスがアメリカの貧困と飢餓を終わらせるまでキャンプを続けても、あなたに貧困と飢餓をもたらす以外に何も結果をもたらさないでしょう。違うのです、スティーブ、あなたの抗議を、それを聞かせねばならない所に持っていって下さい・・アメリカ中のすべての宗教の戸口に。 (訳者注:シンディー・シーハンCindy Sheehan・・ブッシュ大統領邸の牧場の前で大統領に会えるまでキャンプを続けている、イラクで戦死した兵士の母親) マルチン・ルターのように、すべての教会の扉にあなたのバージョンの95箇条の提題を貼り付けるのです。「平和への5つのステップ」の上にでかでかと次の問いを掲げて下さい。なぜあなたがたは、私達は神から離れていて、そして私達がお互いと離れている、と教え続けるのか? それらの礼拝所の戸口で記者会見を開いて下さい。なぜならばそこが問題を創り出した場所だからであり、そこが問題を解決する所だからです。あなたが信念を変えた時にだけふるまいを変えることができるのです、スティーブ、そして信念が創られた所においてのみ信念を変えることができるのです。それらはホワイトハウスで創られたのではありません。ホワイトハウスは今の状態を創り上げた信念の反映なのです。 世界の大宗教の全国本部であなたの行進を終えてください。そこの指導者達にあなたと話して次の質問に答えるように要求して下さい:なぜあなたがたは、私達は神から離れていて、そして私達がお互いと離れていると、教え続けるのか? スティーブ、どうか「新しき啓示」、「明日の神」、そして「神が求めるもの」を、もう一度読んでください。その後で、もし行進することが、世界にメッセージを届けるあなたのやり方だと感じるのならば、そうして下さい。世界をそのメッセージに注目させるために。しかしそのメッセージが正しいものであることをよく確認して下さい。もしホワイトハウスの人たちだけが何かをしさえすれば、貧困と飢餓をアメリカの面前から消し去ることができるのだ、というものなら、それは伝えるべきメッセージではありませんよ。メッセージとは次のようなものです。 もし私達が神についての、人生についての、そしてお互いについての、最も根源的な信念を変えさえすれば、貧困と飢餓を人類の経験から永遠に消し去ることができるのだ。 愛と祝福を、ニール P.S. 私は「新しい霊性の神学校」を創ることを決心しました。いつの日にか、私はそのような学校が世界中のすべての都市、町、そして村に見ることができたらいいと思います・・イスラム神学校と同じように、人類に新しい信念体系をもたらすようなクラスを、一回一つずつ提供するのです。あなたがオレゴン州のアッシュランドでそのような学校を初めて創る活動についてさらに知りたければ、神との対話財団の私宛に問い合せてください。Eメールのアドレスは、neale@cwg.orgです。私はこれからの18ヶ月のうちに、その施設を設立して教職員組織を創るために500万ドルの基金を創るつもりです。もしかしたらあなた方の一人や二人ぐらいはそこで教えたいと思うかもしれませんね。つながっていてください。あなたがこのプロジェクトにどのような支援でもしたいと願うならば、本当に連絡をください。 私達は信念のレベルで人類の振る舞いを変える必要があるのです。 NDW ******************************************************************************** 「あなたがたは人類を苦しめる諸問題を 政治的手段や政府の対策によって解決することはできない。 あなたがたはそれを何千年にもわたって試みてきた。 起こさなければならない変化は 人間の心の中でのみ起こせるのだ」 - 神との対話第2巻より - ********************************************************************************