2006年08月03日

神が必要ないってどういうこと?

このメッセージを初めて神から聞いたときは、悲しい気持ちになりました。私は神を必要として
いたかった。神の助けが必要だということは、私の上に誰かがいてくれることであり、自分以外の頼みの綱があるということだったからです。

ここで父が亡くなったときの事を少し書きたいと思います。
当時、父の容態がかんばしくないことは分かっていました。なにしろもう83歳でしたし、体力は日ごとに衰えていて、だからこそ死の知らせを聞いた時も驚くことはありませんでした。電話が鳴り、受話器の向こうの「ニール、本当にお気の毒なことだけど、お父さんが亡くなったんだよ」という言葉を耳にした時、私を襲ったのは驚きではなくて、深い悲しみと・・・押し寄せるパニックの波だったのです。悲しくなったのは理解できますが、なぜパニックに陥ったりしたのでしょう。それは私がこれまでに感じたことのない、恐怖ともいえる感覚でした。
これは大きなショックを受けた人なら誰もが経験する混乱なんだと自分に言い聞かせましたが、ではなぜ混乱したのでしょうか。悲しみは当然だとしても、混乱するなんて?

その後、自分の感情のさらに深いところと向き合ってみて私は気付きました。そう、今となっては自分が父の役割を果たさなくてはならなくなったから、私はパニックになったのです。父亡き後、今度は私がみんなの上に立って、家族の長にならなくてはならない。いまや私が大黒柱で、ボスで、みんなの頼みの綱になってしまったのです。
私の上にいてくれた存在が、ふいに消えてしまいました。バトンはこの手に渡されたのです。
つまりこれは、誰かが何か聞いてきたら、すべて私が答えなくてはならなくなってしまったということでしょうか?新しい大家長のごとく、家族の問題はすべて私が解決策を出さなくてはならないのでしょうか?じゃあ、私自身の問題は?私に困った事態が起きた時、一体誰に相談したら良いんだろう?誰に電話したらいいんだろう?

実際、困ったことが起きて父に相談するなんてことは長いことしていませんでしたが、だからといって気持ちが収まるものではありませんでした。困ったことが起きたら父はいつだって側にいてくれるんだ、そう思うだけで安心でした。しかしその父が亡くなった今、私は一人です。家族構成から考えれば当然だったのでしょうが、当時の私はまだ結婚していなかったこともあり、残りのメンバーがみんな下につくことになりました。私の上には誰もいない。それどころか、隣りにもいない。本当の意味で私はひとりきりになってしまったのです。
この気持ちはそう簡単に払拭できるものではありませんでした。乗り越えるまでに何ヶ月もかかりました。しかし身をもって父の死を体験したことで、結果として、父という存在の源が私の側から離れてなどいないことを悟ったのです。生きていたときに彼が与えてくれた源は、亡くなったからといって私の元から消え去ることはありませんでした。ストレスや困難にぶつかったとき、私は父の言葉を、与えてくれた英知を、そして父ならではの機転のきいた解決法を思い出し、その知恵や手法を使わせてもらったものです。父はいつだって私のそばにいてくれました。この頭の中の考えとして。

しかし「神との対話」において神と向き合ったとき、私は再び大きな喪失感に襲われてしまいました。心の拠り所を、私の判断が間違っていないかを判断してもらう「上告裁判所」を失くすという感覚です。神を必要としなくてもいいということは、もう神に頼る必要がないということで、つまりそれは私自身が「神」であり自己完結の存在だから、もう誰のことも必要としないということになります。誰も必要としなくて良い、という考えは心休まるものではありませんでした。本当はそうあるべきなのでしょうが、私にとっては違いました。
冒頭にも書いたように、私は誰かを必要としていたかったのです。とはいえ「神との対話」の中で語られた、自分以外の何か・誰かを必要とするという感覚が多くの人々を宗教に走らせ、さらに共依存という人間関係を作る元になっている、という考えには同意せざるを得ませんでした。

のちに「神とひとつになること」の中で、神から「必要」が存在するという考えはただの幻想であると聞いたときにも、やり場のない気持ちになったものです。あの時の私に出来たのは、人生というものに、そして生きるというプロセスにどんな神秘が隠されているのかを深く探求することだけでした。
「神とひとつになること」は、今必要だと思っていること、またこれまで思ってきたこと全てを見つめ直す機会を与えてくれました。さらに、それを本当に必要としているのか、それとも必要だと思い込んでいるのかを自分に尋ねることができました。ただの好みであって、実際には必要性ではなかったのではないか、と。

このことで、絶対にこれがないと幸せになれないという事など実はほとんどないことに気付きました。さらには、生き延びるための必須条件とされるものすら必要ないことを「神とひとつになること」は教えてくれたのです。私がこれからも存在し続けるということは神から保障されていて、私という存在に与えられているのだ、と。
食べ物も要らない。水も、住むところも、そして空気さえも必要ないのです。もし長時間酸素のない状態におかれたら、私の肉体は、当然のことですが、機能を止めることでしょう。しかし、私そのもの…つまり私という本質は違います。機能を止めることすらないでしょう。
神からこのことを聞いて、私にはもう何も心配することがなくなりました。
もちろん、これは肉体のレベルを超えた次元での話です。しかしここ地球での、そしてこのカラダでの暮らしを楽しみたいとなると、必要とするものが山ほどある気がしてきます。しかし、そのことについて真に正直になってみれば、誤解を恐れずに敢えて言うなら、今回の人生を豊かに生きるために私が必要とするものすら、実はほとんど・・・何もないのです!

「神との対話」の中でハッキリ表されていましたが、幸せは…そして幸せそのものを創造する源も…自分の外には存在しません。また不幸というものも、自分が不幸だと考えてばかりいるならなおさらのこと、自分自身の中にしか存在しません、実際にはそこが不幸を見出すところなのです・・自分が外ばかりを見ているときには特にそうです。このことは、「神との対話」の中で最も多く用いられたであろう「内側に入っていかなければ、それを手に入れることはできない」という一節に表されています。

人生について、またあらゆる出来事に対してどのように感じるかで、私たちは幸せにも不幸せにもなりますが、この感じる気持ちそのものは私たちの中で作られているのであり、外から来るものではないのです。

年月を経るにつれ、私はこの真実のもたらす素晴らしさに深い感謝の念を覚えるようになりました。「神との対話」で得たこのメッセージを日々の習慣として身に付け、幸せの根源を自分以外の存在ではなく自分の内側に入って探すようになったのです。
そして今やっと、…これは特に「神との友情」における神からのメッセージのおかげなのですが…神が必要ではないという事実は決して私が孤独であったり、大いなる源と切り離されたりしているという意味ではない、と気付きました。文字通り神とひとつになることで、私はあらゆる源にアクセスしてその力を借りることができ、他に比べようがないほど大いなる力を身に付けることが可能になり、さらに人生を創造の場にすることができました。これぞ驚嘆すべき奇跡であり、心沸き躍る事実であり、そして私は何者であるかを知るという真実の経験そのものなのです。

神は私から必要とされたいなんて思わないでしょう。これは両親が子供に必要とされたがることなどなく、むしろ自分たちを頼らずにやっていくことを教えるのに似ています…ちょうど私の父と母がそうであったように。二人は自分たちという贈り物を私に与えることで、親離れをさせてくれました。両親という存在そのものを贈ってくれたのです。それは時に洞察力であり、知恵であり、力でもありました。慈しみの心として、優しさとして、愛として与えられることもありました。さらには困難に立ち向かう勇気として、また困難を解決するあらゆる想像力としても届けられたのです。
これらの贈り物は、一番の親友であり、父であり母でもある神という存在から、私に、そしてすべての人に届けられています。アイディアを思いついたとき、なにか良い考えがないかと
頭をひねるとき、勇気や思いやりが必要だと感じるとき、計り知れない愛を注ぐことを選ぶとき、私は神の名を呼びます。すべての根源であり、存在するすべてである神を。
そしてその時、私が助けを求めているのは実は私自身に対してなのだと、じかに、そして間違えようのない方法で、神は教えてくれています。私と神はひとつの存在であり、私たちを隔てるものは何もありません。つまり私自身が神であり、この世に存在するすべてのものなのです。だから、もう何も必要としなくて良いのです。たとえ神さえも。私には見捨てられたという思いはなく、前より力強くなれた気がしています。萎縮したのではなく、大きくなれた気がしています。見捨てられたのではなく、迎え入れられたのです。
「あなたに神は必要ない」という言葉で私は何かを失ったのではなく、手に入れました。私の魂は制限されたのではなく、大きく広げられました。そして無限の可能性と自由を与えられたのです。私が思いつく限りの最高の方法で、私自身を表現するという自由を。

ニール・ドナルド・ウォルシュ


_____________________________________________________________________

CwG Weekly Bulletin #165より抜粋 
  日本語翻訳: HTジャパン翻訳チーム 岩本三千代/近川 満

Posted by HTJT at 2006年08月03日 01:00