イベント詳細情報

第6回HT東京・羽村スタディ・グループ

 開催日時
2018年12月01日 13:10〜2018年12月01日 16:30
レポート/感想

<第6回報告書> 平成30(2018年)年12月25日(12月1日開催)

天気:快晴。
  
総参加数:11名(内1人遅れて参加、内1人食事会のみに参加) 。

今月のテーマ:「真の私達について」


1.自己紹介:名前、居住地、出身地、趣味、「神対」で、あるいは他の書物で一番心に響いた教えは何ですか?(複数でもOK)その後の人生にどんな影響を与えましたか?


Aさん:私はキリスト教で約25年勉強し、また仏教(立正佼成会)にも数年関わってきました。
そして約1年前、この勉強会を知り、以来「神対」を学んでいます。
全体的には、真理を探し歩いてきた半生です。
心に響いた教えは、やはり聖書と「神対」です。
聖書では、死後の世界というか、目に見えない領域があるという事を感じる事が出来た、という意味では影響を受けました。
「神対」では、本日のテーマである「真の私達について」、つまり“自分とは何者か?”について以前は考えた事がなくて、この本に出合ってから始めて内側を見るようになりました。
また、私達は神である、善悪はない、その人なりの正義がある等、沢山の新しい考えに影響を受け、日常生活において、特に人に対して以前のように怒らなくなり、自分の中で少し寛容さが芽生えてきたように思います。

Bさん: 初参加です。
大学四年生です。
父からこの勉強会の事を聞き興味を持ち、自ら希望して父と一緒に参加しました。
趣味は口笛を吹く事です。
「神対」は少し読んだ程度です。
今日は皆さんの考えや意見や体験などを、沢山聞かせて頂きたいと思っています。

Cさん:今回で3回目です。
「神対@AB」の中で、興味のある個所から読み始めた所です。
私は子供の頃より精神世界に興味を持ち教会に通ったり、中学時代には友達を通して、創価学会の「座談会」にも通っていました。
1970年代に入り、丹波哲郎の「死後の世界」に関心が湧き、彼が勧める参考文献もほとんど読破しました。
その後宗教にも興味を持ち、信者になるのではなく覗き見程度ですが、隈本確先生の「日本神霊界協会」、五井昌久先生の「白光真宏会」、高橋佳子さんの「GLA会」、矢追純一さんの「宇宙塾」、足立幸子さんの「あるがままに生きる」、前島ひでこさんの「姫道の会」等、次々と真理を求めて渡り歩きました。
今は、画家のはせくらみゆきさん主催の「気づき」の半年コースに通っています。

振り返ると、私の飽きっぽい性格が作用しているのかも知れませんが、大体1〜3年間隔でそれぞれを遍歴しています。
学んでいる時はそれぞれに感動があるのですが、時間が経つとその感動を結局忘れてしまいます。
それと、初代の師匠はそれぞれに素晴らしい教えを説いて下さると思うのですが、その周りを取り巻く人達の人間関係を見ていると嫌気がさし、面倒くさくて“ここはいいかな”という感じになります。
でも遍歴している一番の理由を考えてみれば、それは私の心の中で、“ここで充分学んだ。
卒業した!”という感じです。
ところで、一つ大きな気付きがあります。
それぞれに渡り歩いた中で共通した教えがあり、それは“私達は神である”です。
これは私の中で真実の一つだと確信しています。

Dさん:現在65歳、今年6月で定年を迎えました。
そしてその後の約半年間で、50〜60代の私の知り合いが5〜6人亡くなりました。
私ぐらいの年齢になると、死というものが現実味を増してくる時期かも知れません。
でも亡くなられた人達の中にはとても元気だと思っていた人もいて、凄くショックでした。
人間の運命って何なんだろうと考え、来年が間違いなく来るかどうかも定かでない事を想い、一日一日を本当に大切に過ごしたいと感じるこの頃です。

最近感動した事です。
一週間ほど前、イギリスのロック・バンド、クイーンの映画「ボヘミアン・ラプソディー」を妻と一緒に見て来ました。
彼らが奏でる美しいメロデーや、フレディ・マーキュリーの澄み切った声の迫力に、周りの多くの若者や私達も涙にくれました。
その会場一杯に満ちた人間の感動する力、その熱気に満ちたエネルギーに感激しました。
また一番心に響いた教えは、聖書や仏典などいろいろありますが、私の場合、母方のおじいちゃんとおばあちゃん、そして私の母です。
その彼らの生きる姿勢や生き様自体が、私の人生に大きな影響を与え私の精神的支柱になっています。

Eさん:バイク、音楽、剣道、ゴルフ、アーチェリー等、趣味は多種多芸です。
面白い話です。
半年程前、ドラマや映画等のエキストラを始めました。
何が楽しいかというと、自分が日常生活とはまったく違う人生感を味わう事です。
エキストラは俳優ではないので基本的にセリフはなく、通行人であったり死体を運んだりの役です。
例えばドラマで、「この世界の片隅に」とか、来年の大河ドラマ「いだてん」とかに出演すると、スタッフが私達にその時代の服装を用意してくれます。
そして与えられた役を演じていくと、神対的に見ると、あたかも何度も生まれ変わるのを味わえる感覚です。
例えばいろんな場所にロケの為出かけると、江戸、明治、大正、昭和時代に行ってみたり、現代のサラリーマンになってみたりと、大きく時代が変化します。
その中に入り、その時代の大掛かりなセットが用意された中、その当時の服装を着てそこであらゆる人生を演じる。
そこは騙された世界なんだけど、スピリチュアルで教えているように、壁の向こうは全部幻想ではないか、という事を体感出来る。
このように、日常では経験出来ない事が味わえるので、関心のある方には是非お勧めします。
「ボランティア、エキストラ」で検索すれば、老若男女問わず誰でも参加出来ます。

 一番心に響いた教えはいろいろある中で、やはりバシャールの“ワクワク・ドキドキ”が、私にとってのキーワードです。
58歳の時、私は当時従事していた仕事を続けていては、とてもワクワク・ドキドキには過ごせない。
時期的にもここは大きな人生の変化の時ではないかと閃き、思い切って仕事を辞め、本当にやりたい事をして人生を楽しむと決断しました。
その後、ボランティアを始め様々な趣味など好きな事をしながら、5年という月日があっという間に過ぎ去りました。
そして今後も、他人には干渉しない、人生の濃い薄いも関係ない。
生まれてきたからには、全力回転でワクワク・ドキドキを実践し、ひたすら自分の好きな人生を追及していきたいと考えています。

Fさん:「神対シリーズ」で私の心に響いた教えは、「神対B」に書かれている“するべき事は何もない”です。
これは凄いフレーズで、この世に生まれて来て、何かをしなければいけない事は何もない。
逆に言えば、死ぬまでに何かをしなければいけない事も何もない。
つまり、何をしても自由、好きな事をすればいいという事です。
こんな素晴らしいメッセージはないと思います。

 もう一つ響いた教えがあります。
私は高校生の頃、“この世の中に実体はない。
”と書かれた本を読んだ事があります。
でも当時私はよく理解出来ず、以来疑問が心に残ったままでした。
30代の初めの頃、「宇宙の叡智マーヤ」という二年間コースの講座を受けました。
宇宙の全ては幻で、現実と呼ばれているこの世界、目に見えている世界が全て幻想だという教えでした。
この講座を受ける事で私の意識が拡大し、全てが幻影であるという考えを受けいれる心の準備が出来ました。
そして30代の後半に、アメリカの俳優でスピリチュアルな女性、シャーリー・マクレーンの著作、「アウト・オン・ア・リム」に出合いました。
その中で彼女は、“この世の中に現実なんてどこにもない。
この宇宙には確固たる現実はない。
”というフレーズに再び出合いました。
体験を基にした彼女の真実は説得力があり、私の心に衝撃を与えました。
つまり全てが幻想だから、宇宙の無、空、無限、奇蹟、神秘体験、輪廻転生、超能力、霊能力等々、どんな事柄でも全てが可能になる。
何でもありになる。
何でも自由に創れる。
無限だから死もないし、私達を縛るものは何もない。
私達は目に見える世界を現実と考えているけれど、その全てが幻想であり、夢であり、映画であり、ホログラムであり、幻影であるという事が納得出来ました。
この幻という宇宙観を知って、私の心が無限の自由である事を知りました。

Cさん:質問1.どうしたら、その幻影という理解が腑に落ちますか?私もいろんな書物を読み、様々なセミナー等にも参加しそれなりの体験をしてきたのですが、この現実があまりにも固くて、これが真実のように思えてしまいます。

Dさん:私達には心を縛っているものがある。
それは、一般常識や社会通念や固定観念や幼い頃から受けてきた教育等です。
それによって思考が固まり、言葉によって、私達をがんじがらめにしています。
自分自身をコントロールしているものがあり、それをどう解き放つかが大切だと思います。
私もその方法を学んでいるところです。

Eさん:正直、私はこの宇宙が幻想という考えは腑に落ちていません。
だけど考えても分からないから、とにかく好きな事をしている。
楽しい事を味わってる。
腑に落ちる人も良し、腑に落ちない人も良し。
一生懸命考えて目覚めて悟る人もいいけれど、どうせ直ぐに分からないなら、自分が好きな事や情熱を傾けられるものに夢中なって生きてみるのもいいのではないか、と思っています。

野川:Fさんの考えである“するべき事は何もない”、に対する私の少し違った考えです。
その意味は、しなければいけないような義務はない、です。
この事を「神対」の別の個所では、次のように追加説明しています。
“すべき事は何もないが、あなた方の欲求から生じてくるしたい事は一杯あるでしょう”と。
そしてその欲求とは何かというと、私はそれを神の心情、あるいは欲求・切望だと理解しています。
何故なら、神は私達の内に在り、さらに私達は神に似せて神をかたどって創られました。
それ故神の欲求とは、一言でいえば愛であり、喜びであり、自由等々と考えられるからです。
言い換えれば、生命が(=神)がイキイキ・ワクワクと躍動する思いや感情でしょう。
だから、先程話しに出た自由の名の下に人を傷つけたり、憎んだり、殺してしまう事とは、少し意味合いが違うと思います。
それでは私達の(=神)欲求は満足しないどころか、心が落ち着かず気持ちが悪くなります。
つまり良心の呵責に悩みます。
一方、この世は原因と結果の法則が機能するので、例えば人を殺した人は、結果として刑務所に入る事になり、厳しい体験をする事でしょう。
でも広い視点に立てば、その人も神の一部です。
しかし説明したように神の欲求から推測すれば、彼/彼女は、最も遠い神の表現をしている一人かなと思います。
この状態を世間では地獄と呼ぶのかも知れません。
勿論、神の領域に地獄は存在しませんが、それでも本人が望めば経験は出来ます。

 上記理由で、神は100%の自由を私達に与えているので、私達は嘘をついたり、泥棒したり、人を傷つける等、何をしても自由です。
実際、世の中で起きています。
だけど神の深い欲求を考える時、それは、愛から派生する思いや感情だと思います。
つまり皆が喜びや楽しみを共有し、平等で、安心で、幸せで、平和な社会創りの体験を望んでいる、あるいは示唆している、と私は考えます。
幻想に関しては、地球を含めた物質宇宙自体が幻想だと、私は理解しています。

Gさん:私は約24年間、キリスト教のプロテスタントとカソリックの両方を勉強して来ました。
また仏教系の「真如苑」 にも一時通っていました。
約5年前、ネットでシルバー・バーチのサイトに出合い、その内容を何回も読み返す事で納得出来て、以来キリスト教を離れました。
彼の教えを受け入れた理由は、主に4つあります。
それは、@私達は霊魂の成長の為にこの世に生まれた。
A贖罪思想は誤りである。
これは私にとっては、自分がした事は自分に返ってくる、とする原因と結果に基づいた考え方の方が受け入れやすかったからです。
Bこの世の宗教家の祈りはほとんど失格。
何故ならご利益中心のお祈りだから。
C動物虐待は良くない。
これは、私が知るキリスト教信者は肉を食べたり人間を第一優先にし、動物の事を大切に扱わないからです。
その後、シルバー・バーチの読書会にも半年ほど通いましたが、その会の雰囲気があまり会わず結局そこも離れました。
そして約1年前、この勉強会に出合い参加するようになりました。

 心に響いた教えは、カトリックの遠藤周作の本に書かれていた“無駄な事はない”です。
これは、「神対」にも同じ事が書かれています。
また「神対」の教えでは“ワンネス”の考えがあり、それに関連した教えで“人にした事は全て自分にした事と一緒だ”が好きです。
でも、実生活でなかなかそれを活用出来ない自分がいます。

Hさん:自己紹介から始まった皆さんの考えや意見を聞いての、私の感想です。
「神対」の中で、神とニールの次のような会話が交わされたのを思い出します。
ニールが“いやー、感激しましたよ、神様!”すると神様が“感激する事も大切だけど、それだけでは意味はないよ。
感激した事を実践して始めてその大切さが実感出来るよ。
で、あなたはどうなのかな?”すると彼が“すみません。
してないです。
”と答える場面があります。
そこで私も、皆さんと一緒に素晴らしい教えを実践していきたいと思いました。
 
野川:中学生の頃、ふと“人間は死んだらどうなるんだろう?”と疑問に思った事がありました。
その疑問を心に残したまま大人になり、死に関する本をいろいろ探し読んでいる中、約20年前に「神対シリーズ」に出合いました。
その中に、死に関する情報が記載されている一冊の本がありました。
それが「神へ帰る」です。
この本は、死後の世界と輪廻転生に関する驚くべき詳細内容に触れていて、私の心が圧倒されました。
そう、私の心に最も響いた教えの一つは、その本で説いている死後の世界と輪廻転生についてです。
この本を要約すれば、次のような3点になります。
それは、@生命は永遠であり、希望すれば人生は何回でもやり直しが出来る。
A肉体的な死はあるけれど、私達の本体である三位一体のエネルギー(魂・精神・身体)は永遠に存在する。
B生と死はコインの表と裏のように密接な関係にあり、この両者を通して生まれ変わりを続ける中で、自分自身を高め成長させて、本当の自分に創り上げていくです。

「神へ帰る」を何回も読み直し熟慮していく時、“あー、人はずっと生き続けるんだ。
じゃ何の為に生き続けるのか?それは本当の自分を体験して、喜びを感じて、周りと分かち合って、最終的に本当の自分自身になっていくんだ。
言い換えると、神に成りゆくプロセスを歩んでいくんだ。
そして最終的にマスターになれば、もう輪廻転生はいらない。
その人はさらなる高みを目指し、次の次元に移動するか、この地上にマスターとして降りてきて、迷える私達に道を説くか、あるいは霊体として留まり私達を陰から導いていくのか。
丁度イエスやブッタやクリシュナ等々、その他大勢のマスター達がしてきたように。
”という思いに到達しました。

この死後の世界と輪廻転生、つまり人生のプロセスと目的が私の心の核心部分に触れた時、安心と平和と調和が訪れ、この教えが“ストン”と腑に落ちました。
それ以来、私は人生を焦らなくなりました。
結果にそれ程気を捉われなくなりました。
結果は遅かれ早かれ、全員が神の基に帰っていくからです。
それより、そのプロセスを大切にするようになりました。
自分が(魂)引き起こす出来事を通して、自分が出来る範囲で出来る事をする。
そして仮にそこで終わればそれも良し。
人生が終わる時、自分の人生は自分なりに満足し、豊かな人生だったと思えればそれで充分かなと思いました。
この私の心境を上手く表現した詩を以下に紹介し、皆さんと共有したいと思います。

「あなたが生まれた時に、あなたは泣いている。
そして周囲の人は祝福している。
そしてあなたが死んだ時には周囲の人が泣き、あなたは⦅私は立派に生きた⦆と言えるような人生を生きなさい。
」-----古いインディアンの言い伝え。

2.今月のテーマ:「真の私達について」を読み終わった後の質疑応答。


Cさん:質問1.「神対」では、三位一体のエネルギー(魂・精神・身体)が私達の本体と教えていますが、この3つの関係を説明して頂けますか?私が今まで学んだ中では、真我が神の部分で、その真我が顕在意識や潜在意識を内に含み、3重構造になっていると教わっています。
この両者の教えを照らし合わせると、真我の部分が魂に相当するようです。
顕在意識や潜在意識も、神の一部になるのでしょうか?
野川:以下は全て私の解釈です。
ご指摘のように、三位一体のエネルギーが私達の本体です。
この3つの意識はそれぞれ平等に独立し、違った機能を持っています。
魂は、大きな魂(神)の個別化した部分で神に最も近い意識です。
本当の自分を覚えている意識です。
精神は、思考あるいは理性にも置き換えられ、考える力・エネルギーです。
“私は何者か”と探求する意識です。
身体は、体で喉が渇いたりお腹が空いた時に、水や食べ物を欲する意識です。
深い感動や危険を感じる意識もあります。

さらに意識には4つあります。
それは、@顕在意識、A潜在意識、B超意識、C超絶意識、です。
その機能は、@通常、私達が起きている時に働く思考意識。
自分が何をしているかを自覚している意識です。
A通常、私達が寝ている時に自動的に働く意識。
例えば、呼吸やまばたき。
またこの無意識状態が、過去世や未来の記憶や情報を思い出す部分かも知れません。
自分が何をしているか自覚出来ない意識です。
B個人的なレベルで働く意識。
例えば自分の死を決定したり、アジェンダ(今生で経験したい事)を覚えている意識です。
C地球レベル、あるいは宇宙レベルで働く意識。
人類全体に影響を与える部分で、イエスやブッタレベルの意識です。
そしてこの4つの意識は、神自身に含まれています。

この三位一体のエネルギーの機能を、もう少し具体的に説明してみましょう。
魂はいつも本当の自分を経験したいという欲求があり、意図的に出来事を引き寄せます。
ただ、精神や身体の意識は、五感感覚やこの世の価値観に基づく欲求に傾く傾向にあり、第六感にはなかなか気が付きません。
それ故、気持ちを落ち着かせ静かな場所や瞑想などを通して、意識が内側に向かない限り魂の意図は簡単には分かりません。
だから人生の質は、魂の声にどれだけ精神と身体の意識が耳を傾けるかで決まる、と言われます。
この3つ(魂・精神・身体)は、神が私達を創造する上で、自然に生じた要素だと考えています。

Aさん:質問2.“目覚めている”という感覚が良く分からないのですが、あるいは“目覚めているように振舞いなさい”とは、具体的にはどういう事でしょうか?
Hさん:私達は最終的に全員目覚めている。
ただ今は目覚めている事に気付いていない、あるいは思い出していないだけだと思います。
でもこれには目的があって、いったん忘れないと本当の自分を経験出来ないからです。
便宜上バラバラという分離状態を創らないと、一体という経験が出来ないからです。

野川:例えば、自分は優しい人間が本当の自分の一部だとします。
さて、私達は相対性(二極)の世界に住んでいるので、反対の要素である冷たい人、あるいは優しさを求めている人が自分の周りに必ず現れます。
それが相対性の目的だからです。
その時、損得を考えて躊躇する人、あるいは関わりたくないと思いその場から遠ざかる人ではなく、直ぐに行動に移し自分の優しさを分かち合える人、あるいは他人の事で面倒くさいから放っておこうとするのではなく、自分の優しさをその人と一緒に体験しようと直ぐ表現出来る人が、目覚めている人だと思います。

 スピリチュアルを勉強している私達は、少なくとも一般の人達よりは心がオープンで、人生を生きる上で大切な要素に気付いています。
例えばそれは、私達の内に神がいる、源(神)の意識に良い悪いはない。
世間でいう、天国も地獄もない。
生命は永遠である。
正しい間違いでなく、役に立つかどうかで見る、私達は神と一体である等々です。
私達はそれを、各自の意識レベルで少しずつ体験し感じています。
ただ完璧に目覚めているわけではありません。
そこで、目覚めてない人を目覚めさすのはおこがましいから、目覚めた人のように振舞います。
それも真剣に行なう事で、私達の気持ちが相手に伝わります。
そのような姿勢で一緒に目覚めていきましょう、という事だと思います。

Aさん:質問3.例えば私は優しくなりたいけど、私の心がワクワクしない場合はどうなんでしょう?
Dさん:例えばイエスは“自分がして欲しくない事は人にしてはいけない”と教えています。
つまり自分がされて嫌な事は、相手に対してもしなければいいという事でしょう。
これを逆に言えば、自分がしてもらい嬉しく感じる事は、相手にもすればいい。
この原理を活用して、Aさんが優しさを誰かから受け、それが心地良いと感じれば、他人にもその優しさを表現し体感してみればいい。
一般的に言えば、正直とか、思いやりとか、親切とか、とにかく何かになってみたければ、あまり考えないで実践してみれば分かると思います。

Hさん:質問4.自分が駄目な人間だと思っているのに、本当の私は、愛、善、思いやり、光等々だと言われて、それをどのように皆さんは受け入れられますか、信じられますか?
Dさん:皆さんには、多分それぞれの課題や理想があると思います。
そんな中、一日一善の思いでいいから何かを実行してみる。
例えば、お金はないけど人に優しい言葉をかける、というように。
このように出来る事の小さな一つひとつの積み重ねが、自分の自信に繋がっていくと思います。
これが簡単でないのは、結局どこかで相手と自分を線引きして、自分自身をおとしめているからです。
例えばあいつは頭がいいが俺は頭が悪い。
あいつの家は金持ちだが俺の家は貧乏だというように。
こうして知らない間に相手と比較して自分自身の値打ちを下げている、あるいはそのように判断している。
そこで、自分は何に対して相手と線引きしているのかという思いや考えを明確に整理して、意識を真心のある自分の内側に向けてみる。
そうすれば、自然に自分の良心や神性を表現出来るようになると思います。

Eさん:私はボランティアの体験を断続的にしていますが、とにかく一度出かけてその仲間に入って被災地で経験すると、その全てが分かると思います。
ただ日常生活の中ではなかなかそのような機会もなく、忙しさで流されがちになります。
それでも、働いていようが時間がなかろうが、たった一日だろうが一週間だろうが、一度関わってみると、“あれー、俺の中に神がいるぞ”という実感が湧き上がります。
だから、ごみ拾いでも吸い殻拾いでも何でもいい、良いと思った事は一歩踏み込んで行動に移し体験してみる、そして感じてみる。
すると、神性なる自分が内に在る事や、自分を本当に愛する気持ちを持っている事が実感出来ます。
そしてそこから芽生える熱い感情を継続していくと、その方が気持ち良くなってくる。
しかも、言葉ではなくその体験は全て自分に返ってきます。
だから、人の為にやるとか、被災者の方達の為にやるとか、あるいは誰かを助けるというのはおこがましい話で、要は、自分の為にやった方がいいと思います。

Fさん:質問5.先程から“自分にして欲しいように人にしてあげなさい”という教えが話題になっていますが、私は少し違った意見を持っています。
これは私の実体験からの考えなのですが、自分がして欲しい事を相手が望まないケースがあります。
また逆に、僕はあまりして欲しくないのに、相手がいろいろしてくれるケースもあります。
いずれも親切があだになったり、余計なお節介に感じたりします。
だから必ずしも、自分がして欲しい事が相手にして欲しい事ではないと思います。
この場合、皆さんはどのように対応しますか?
Dさん:人間関係の中で相手の気持ちを思いやる、という事は大切だと思います。
例えば友達が旅行から帰ってきて、“これ、気持ちだけど”と言ってお土産を渡してくれる。
私としては“結構です”と断りたいけど、その人はその人なりに普段の感謝の気持ちを込めて“どうぞ”と勧めてくる。
その場合は素直に受け取るのが良いのじゃないかな、と思います。

Eさん:でも、“結構です”と言うのも親切なんじゃないですか?思いやりを伝えるいろんな表現があると思います。
相手の気持ちを充分大切に受け止めた上で、自分の気持ちに正直になり、それを相手に心を込めて伝える事も大切だと思います。
むしろ、いらないものを受け取る方が私には違和感があります。

野川:自分にして欲しいように人にしてあげなさい、という事は言い換えれば、相手がして欲しいように自分がしてあげなさい、とも置き換えられると思います。
何故なら、究極的には私達は一体だから。
そしてこの場合、もし相手がして欲しい事が何も望まない事だったら、何もしない事が親切だと思います。
逆にその時何かを相手にすれば、それはお節介になるでしょう。
だから、自分にして欲しいようにと思った気持ちを、相手がして欲しいように、と置き換えてみればいいんじゃないでしょうか。
ただ、最初は相手が何を望んでいるのか分かりにくいので、多少お節介じみた事が起こるかも知れません。
でもその場合でも、相手のリアクションを見れば、例えば目や手の動きや体の動作を観察すれば、およそ見当が付くと思います。
それから、次のようなケースもあります。
もし2人の間に信頼関係が出来上がっていれば、誤解が生じる事なく自分の本当の気持ちをズバッと相手に伝える事が出来ると思います。
いずれにしろ、自分に正直なように相手に正直に伝える事は、伝える側の根底にある誠実さが上手く機能し、両者の関係を壊す事はあまりないと思います。

 もう一つ、「神対」の中で、本を人に紹介する時のアドバイスが書かれています。
それは“この本は絶対的な真理だから是非読んで欲しい”と言っては駄目だと勧めています。
何故かというと、私なりに考えた事ですが、一人の人間がどれだけ広いか分からない未知の宇宙に対して、その宇宙を貫く真理を伝えられないからです。
だから、“これは私の真理だけど良ければどうぞ”と言って相手に勧めるようにしています。
その時、勿論断る方もおられます。
その場合は、本を勧めないし説明もしません。
自分に真実があるように相手にも真実があるからです。
その意味ではお互い平等です。

Iさん:少し遅れての参加ですみません。
今話されている事は、私も常日頃から考えている大切な事なので、野川さんと同意見なのですが、議論に参加したいと思います。
少し考えてみれば分かる事ですが、どれだけ広く大きく深い無限の大宇宙の事を、三次元の有限に住むただ一人の人間が、― 聴覚も視覚も非常に限られた狭い範囲しか見えない人間 ―、全ての真理を語る事は不可能だと思います。
例え偉大な師であるイエスやブッタでさえも、語られた真実が宇宙を網羅する広大な真実を語っているとは思えません。
この事を常に念頭に置き、私達はもっと素直に正直に、そして謙虚な気持ちを持つ事がとても大切だと思います。
ただ一生懸命探求した結果“私は○○に気付きました。
もし宜しければこれを参考にしてみて下さい。
活用してみては如何でしょうか?”と勧める事は可能だと思います。
このようなスタンスで応対すれば、いろんな誤解や無用な衝突や思い込みを避ける事が出来ると思います。

“念の為に言えば、そんなやり方でも構わない。
いずれにせよ、目的地は同じだ。
ただ、もっと早い近道があるんだよ。
 近道とは? 今直ぐに、自分自身を受け入れ、それを実証する事。
イエスはそれをした。
それがブッダの道であり、クリシュナの道、地球上に現れた全てのマスターの道だ”(「神対@」P.117)。

Fさん:質問6.上記文章で、近道とは何でしょうか?また自分自身を受け入れ、それを実証する事とは、具体的にどんな事を指しているのでしょうか?
Hさん+野川:何千年も昔より、既存の宗教から、私達は先祖から以下のような教えを、半ば洗脳されて受け継いできました。
それは“あなた方は神から見放された。
罪の内に生まれてきた。
原罪を持って生まれてきた。
後悔しなければ、そして懺悔しなければあなた方は救われない。
神の怒りが最後の審判で下される等々。
”このように、私達は自分達を否定し非難し、そして私達の使命は向上する事だと決めている。
でも、本当は純粋で素直な私達、ありのままの私達、真っすぐな私達を受け入れる。
それを自然に表現すればいい。
素直な私達の中にはちょっと人を傷つける私達、嘘をつく私達がいるかも知れない。
それはそれで反省しながら、その全部を受け入れる。
私達自身を否定したり抵抗するのではなく、私達自身をを肯定し丸ごと受け入れる。
このような姿勢で人生を捉えた方が、本当の私達に早く近づくと思います。
そして実証するとは、単純にそのように生きて体験し感じてみる事だと思います。

 「神対」の中で、神が私達とコミュニケートする時の第一のツールは、経験です。
実際に体験し感じてみる事です。
すると私達の心の状態が明らかになります。
それは怒っているのか穏やかなのか、あるいは心地良いのか心地悪いのか、と。
感情はその時々の私達の心境を正確に教えてくれます。
何故なら、感情は嘘がつけないからです。
だからその感情に耳を傾け感じてみる。
そしてその状態を、あるがままに受け入れる事だと思います。

Iさん:私の人生を通して感じている事ですが、とにかく騙されたと思って、自分自身を実験台として行動に移し体験してみる。
体験すると、必ず何らかの思いや感情が実感として返ってきます。
このプロセスの中で良い方法が見つかってくる。
自分に適した方法や改善方法が少しずつ見えてくる。
人生とは、その積み重ねではないかと感じています。

Eさん:涙ってものが上手く出来ていると思います。
何かをした時、嬉しいとか悲しいという涙ではなく、感動する涙があります。
これは私が思うに、多分体のサインだと思います。
かっこよく言えば、魂が喜んでいる状態でしょうか。
これは特別なものではなく、誰にでもある体験だと思います。
例えば誰かを恋している時、映画や劇やコンサートに出かけた時、特に感情的になっているわけではないのに、何故か急に涙が溢れてくる、あるいは熱い思いが込み上げてくる。
このような状態は、私達の心の奥底にある言霊に触れるのだと思います。
そしてこのプロセスを何回も繰り返している時、だんだんとその感覚が分かってくるようになると思います。

Iさん:これは私の実体験した話です。
約30年前、私はある公園の近くに住み、宗教に関連した事をしていました。
その教えの一つで印象に残っていたのが“見返りを求めない方がいい。
誰も見てないところで良いと思う事をしなさい”でした。
その時、“奇麗ごとを言うんじゃない”と反発心もありましたが、自分が何もしないで否定するのは失礼だと思い、私は気持ちを切り替え“よし、実験してみよう”と思い立ちました。
次の日の朝5時に起き、ほうきを持って外に出て、通りに誰がいないのを確認して“よし、今がチャンスだ!”と思い、黙々と何十分かその辺りを奇麗に掃除しました。
その後、予期せぬ驚いた事が身体に起きました。
私の胸の奥辺りがとても気持ち良いのと、同時に深い喜びが湧き上がってきました。
“あっ、もしかして言わんとした事はこの事か!”という感覚が、実感として分かりました。
そしてその時、実践する事の大切さを肌身に沁みて分かりました。
見返りを求めない姿勢の偉大さを始めて体感しました。
その後暫くして思った事ですが、実はあの感動・感激・感覚こそが最大の見返りではなかったのか、と思いました。
宇宙とは無駄な事はさせない、と感じました。

Cさん:素晴らしい体験談を有難うございます。
私自身も、自分なりに見返りを求めない人生を歩んできました。
ただ私の場合、Iさんのようにこみ上げる喜びを実感する為ではなく、自分の心の浮き沈みをさせない為に、見返りを求めませんでした。
例えば困った人が現れ何かを頼まれた時、私に出来る事はしてあげようとしますが、その時に私が見返りを求めないのは、求めてしまうと“これだけ私がしてあげたのに、何も見返りをくれない”と思ってしまう自分が嫌だからです。
そのように私の心が上下に動揺するのを避ける為に、見返りを求めないようにして来ました。
彼のように内側から湧き上がる感動がある、という話を聞いて感激しました。

野川:質問7.“あなたが神に似せて神をかたどって創られた”この文章を読んで、皆さんはどんな印象を持ちますか?
Aさん+Gさん:キリスト教を長く勉強してきた観点から想像すれば、神のイメージは何か髭が生えたおじさん、白い衣を着た人、人間みたいな形をしていて、イエスに似ている人をイメージします。
神は人間に似ているって感じです。
一方、「神対」では神は形がない、内面的な要素で、全てが神であり、全てでない存在、のような事が記述されていたと思います。
でも、私は神にずっと長い間祈っているのですが、何も答えがありません。
祈っても、何も助けてもらった事もない気がします。
結局、自分で頑張るしかない。
今ここで勉強しているのですが、正直言って、神って何もないような感じです。

Iさん:神に救ってもらおうとか、神に期待して何かをしてもらうような考え方は、本当の自分を探求する上で、役に立たないように思います。
私ならその考えを変えます。
何故なら、あくまでも自分が創造主だと理解しているからです。
聖書をよく読むと、実はイエスも“あなた方が神なのです。
神はあなた方の内にあります”と伝えています。
だから、外にいる神が自分を救ってくれるという考えは、私にとっては幻想です。
もっとはっきり言えば、自分自身が抱く思いや感情は、― 変な思い込み、勘違い、先入観、固定観念等々 ―、全て役に立たないものと認識し、少しずつそれを手離していく。
そのプロセスで、本来持っている無限の大宇宙、つまり神の力が表れてくる。
元々私達の内に在る神の愛や喜びが溢れてくる、と思います。
これが結果的に、自分を救うようになると思います。

野川:神には形がない、においもない、手で触る事も出来ない、何故なら神は、私達の内面で感じるものだから。
また神は全てのエネルギーの源です。
そこで、例えば誰かが何かをしたいと思うと、神はその望むエネルギーを善悪なしに、そして平等に全ての人に与えます。
また神のエネルギーの利用方法が、「友情」の中で具体的に記述されています。
それは3つの聖なる力と呼ばれています。
少し説明してみましょう。
それは、@創造エネルギー、A優しい知恵、B純粋な愛、です。
具体的には、@の創造エネルギーを使い、自分の人生を豊かに創り上げます。
それは、思考と言葉と行為(思う事、語る事、行なう事)です。
Aの優しい知恵というエネルギーを使い、自分の人生を向上させます。
それは、見かけで判断しない方が良い時、私達は真実を知る事が出来ます。
Bの純粋な愛のエネルギーを使って、自分の人生を進化させます。
それは、人を祝福し、無条件に受け入れ、相手が選択した通りに生きる自由を認める。
そして、聖なる自分にも同じ自由を与えます。

 上記3つのエネルギーは、神自身のエネルギーに含まれていて、私達の意識(思考)の選択に応じて動きます。
意識を内側に向ければ向けるほど、このエネルギーを私達の人生に利用出来るようになります。
従って、この3つの聖なる力をフルに活用する事で、私達自身について最も偉大なヴィジョン(展望や希望)の最も壮大なバージョン(神)を、新たに再創造する事が出来ると思います(「神との友情・上」P.267を参照)。

3.以下は、今月のテーマに沿った、私、野川の個人的な意見です。


“あなたが神に似せて、神をかたどって創られた。
”これは、私達は神の能力、資質、性質を受け継いでいる。
それが私達の細胞一つ一つに含まれていて、さらに遺伝子の中に組み込まれている、という意味だと考えています。
では、私達の本当の姿・在り方(=神)は何か?下記の文章が、それを具体的にそして明確に示していると思います。
この内容が真の私達だ、と神は伝えています。
さて、あなたはこの在り方を素直に受け入れる事が出来るでしょうか? 
★ あなた方は善であり、慈悲であり、同情(思いやり:野川注)であり、理解だ。
あなた方は平和であり、喜びであり、光だ。
あなた方は赦しであり、忍耐であり、力であり、勇気であり、苦しい時の援助者であり、悲しい時の慰め手であり、傷付いた時の癒し手であり、迷った時の教師だ。

あなた方は最も深い知恵と真実、最も偉大な平和と愛だ。
あなた方はそういう者なのだ。
そして、たまには自分がそういう者だ、と気付く事があった。
これからはいつも、自分はそういう者だ、と理解していなさい(「神対@」P.118)。

★ あなた方がわたしに似ているとは、あなた方は物理的な存在ではなく、勿論、物理的な形でもなくて、自分が望んだ時に物理的な存在という形を取る事が出来る、という意味だ。
それにまた、望めば他の形を取る事も出来る、という意味だよ。

つまり、あなた方は純粋なエネルギーであり、創造の力であり、無限の智恵の源であり、無条件の愛だ、という事だ。
つまり、あなた方は身体ではなく、身体を包み、身体を創り出したエッセンスだという事だ。
あなた方は生命そのものであり、あるとき、あるやり方で存在として現れた、それは、そうするのが楽しいからだ、という事だよ(「明日の神」P.205〜206)。

<終わりに>
いつものレストランに一人を除く全員が参加し、好きなメニューを注文しいつものエンドレス・トークが始まった。
途中から食事のみの参加者も一人加わり、あれこれと好き勝手な話に夢中になった。
楽しい時間があっという間に過ぎ、気が付いたらラストオーダーになっていた。
時計の針は10時を過ぎていた。
“今夜はこれぐらいにしといたるわい!” 野川