イベント詳細情報

第2回HT東京・羽村スタディ・グループ

 開催日時
2018年08月04日 13:10〜2018年08月04日 16:30
レポート/感想

<第2回報告書>

平成30(2018年)年8月27日
天気:快晴。  総参加数:12名(男性9名、女性3名;内一人遅れて参加)。
今月のテーマ:「神と私達との関係について」。
注):文中の()内は、全て野川の意見・考え。
1.「神対」で、あるいは他の書物を通して、あなたが一番感動した言葉・文章は、そして、それがあなたの人生に与えた影響は?
野川:今までの人生で、私が感動した言葉というかモットーは、“人の振り見て我が振り直せ”です。勿論自分の経験を通して学ぶ事は多いけれど、人の言動を観察する事で、その人が経験した事をあたかも自分がしたかのように感じ、そこから学ぶ事や気付く事も多いと感じています。
 「神対」からの影響としては、出来事に対して“正しい/間違い”で見るのではなく、望む自分の在り方に対して“役に立つか/立たないか”、で見る事が出来るようになってきたです。これを日々活用していると、自分の進化・発展に磨きがかかります。さらに、相手の言動があまり気にならなくなります。何故なら意識が外でなく内側を目指し、より大きく、広く、高貴な自分の実現に向いているからです。
 もう一つは、“人は死なない、生命は永遠”という教えです。神との対話シリーズ9冊の最後の本「神へ帰る」が、私に大きな影響を与えました。何回も々も読み直す事で、人生で仮に上手くいかない事が起きても焦る事なく、物事を大局的に捉える事が、以前よりずっと楽に出来るようになりました。何かの出来事で、それを失敗と意味付けするのではなく、一つの経験として捉える事が出来るようになりました。そしてその経験から、近未来に向けて、沢山の学ぶ・思い出すチャンスを得ています。
Aさん:私にとり、斎藤一人さんの次の言葉が強く印象に残っています。それは“人は何の為に生まれてきたの?”という問いに対して“人は楽しむ為に、そして幸せになる為に生まれてきた”です。非常に単純明快で分かり易く、誰にでも受け入れられる内容で、今でも心に響いている言葉です。
Bさん: 最近趣味としてウクレレを始めました。感動した本は「ラムサ」です。沢山の内容に驚いたのですが、その中でも“私達は神!”という表現には凄く感動しました。それ以来、神とは何なんだろう?と真剣に考えるようになりました。
Cさん:中学生の頃より精神世界の本に関心を抱き、以来様々な本を読み続けました。その中で最も感動を受けた本が「ラムサ 真・聖なる預言」です。以下は、その感銘を受けた抜粋編です(ラムサに関する本は、他に数冊あります)。
“人は神となるのだ。
自分が正しいと感じる事だけを、実行してほしい。ただそれだけだ。
自分の内面の声だけに耳を傾けること、喜びの道だけを歩むこと、内面深く感じることを覚え、この地上界で最高の宝である、慈愛と喜びの感情を手にするのだ。
そして自分自身を深く愛するようになり、自分を愛するようになったのと変わらぬ程、相手を愛することが出来るようになるのだ。
するとどんな相手が目の前に来たとしても、その人の内に、あなたと全く同じように神が宿っていることがわかるだろう。そうすれば、あなた自身が、もはや世界に対する、まばゆいばかりの光となるのだ。
人は、自分はみすぼらしく無力なのだと言い続ければ、それを信じるようになり、実際にそうなってしまう。
そして、もし人が、自分を神と呼ぶならば、その人は実際に神となるのである。”
本を読んでいく内に、自分の中で元気が溢れてきて、肉体の元気が大きくなり、家の外まで広がっていった感覚になりました。気が付いたら、“元気の塊”になっていました。こんなに元気をもらったのは、今のところこの本が初めてです。
Dさん: 趣味として20代後半からずっと続けているのが、心理学です。特にカウンセリングに興味があります。感動した本に関してですが、心理学やスピリチュアル系の本を沢山読んできた中で、特にこれという書物はありません。ただ、今は非二元系、物事は二元に非ず、つまり全てはひとつである、という考えにはまっています。また、内なる声を聞くという事に繋がると思いますが、沈黙に耳を傾ける、あるいはただ黙って心の声に耳を傾ける、という事に強い関心を抱いています。
Eさん:今までで一番感動した本は、「ヒマラヤ聖者の生活探求」です。高校2年の時に読みました。奇跡の体験のオンパレードが記述されていて、例えば不老不死や瞬間移動などは当たり前で、“人間というのこれだけ可能性があるのだな、これを一つ信じてみよう”とその時思いました。
 この本には沢山のアセンデッド・マスターがいて、そこにはイエスや仏陀も現れてきます。そこで今日は、その内の一人のマスターの言葉を紹介します。この方は、700年程肉体を持ち生き続けている女性です。以下がその内容です。
“あなた方は神意識を受け入れ、自分の意識を神意識にまで拡大する事が必要になってきます。自分自身が、神に夢中になる事です。そうすれば、あなた方は実際に神となります。至高所(神の領域・エッセンス)と一つになるのです。人は本来、この至高所に属する者です。人間は本当に神なのです。ここではもはや、神と人との間に何ら区別はありません。”
 人間は全知全能なる神の表現媒体として創られている、と私は思っています。この事は、キリスト教ではイエスは神の一人子、と表現されています。そこで私は、究極の神そのものが私達人間なんだなと理解し、その点を人生の軸足として、日々実践・探求を続けています。中でも早朝の静かな瞑想は、欠かせない貴重な日課になっています。
Fさん:私は半身浴が好きです。自分の好きな言葉があり、お掃除しながら唱えています。それは、スリハントクが言っていた“塵を払い垢を除かん”です。自分の中で、一番心に響いています。
 この言葉が私の人生に与えた影響としては、掃除を通して、ただ単に目の前が奇麗になるだけではなく、心の内部をクリアーにしていく事。つまり、目に見えるものは勿論大切かもしれないけれど、自分の内に目を向けて、内なる光をさらに輝かせ太くし、軸を固定するのではなく、それを遊び心がある感覚で捉える。そして一つ一つの言動あるいは所作についても、日々そのような思いや感覚で暮らしていく事。その感覚が分かるようになってきました。
Gさん:趣味は西洋絵画、特にルネサンス以降の印象画などを鑑賞する事です。昔、20歳を過ぎたある日、ふと心の中で“神は自分の中にいる”という声が聞こえてきました。それ以来その声が、いつも強く私の心の中に残っています。神は遍在する、とも言われます。特定の宗教やイデオロギーに偏る事なく、これからも、私は内なる声を大切にしながら生きていきたいと考えています。
Hさん: 私はワインの仕事をしていて、趣味は、飲むというよりもワインに関する事柄を勉強する事、例えば美術や歴史や世界史について学ぶ事です。9月には,その関連の本を出す予定です。
 精神世界には以前から興味があり、シャーリー・マクレーンやエックハルト・トールやラムサなど、沢山スピリチュアル系の本を読みましたが、「神対」が私には一番“ガツーン!”ときました。教えの中で特に役に立っている一つは、“世の中に良いも悪いもない、宇宙にはそのような基準はない”です。これに出合う前は、あの人の考えはおかしい、この人は間違っていると、私は人をよくジャッジしていました。でもこの考えを受け入れて、実際に日々の生活に活用していく中で、人間関係がとても滑らかになりました。人の言動に振り回されない自分が、内側で確立しつつあります。
 今興味がある事は、“マインドフルネス(瞑想に近い)”です。アメリカではリトリートと呼ばれて、みんなで合宿して瞑想したり、身体に良いものを食べたり、自然散策を楽しみます。そんな非日常的な空間を創って、みんなが学べ、本当の自分を見つけられる場を提供する事が出来ればいいな、と思っています。個人的には、効果的で実践に適応した瞑想方法を勉強したいです。
Iさん:「神対」に出合って約2年ほど勉強しています。その中で特に感動した事は、永遠の命というか輪廻転生があるという発想です。私は元クリスチャンなので、この考え方には救われた思いです。また著者ニールさんは、私達が日常抱く疑問を問題提起しているので、それが私にとって沢山の実践的学びになっています。
Jさん:10代の頃から、真理探究をずっと続けています。そんな中で「神対」でも指摘していますが、一番感動した事あるいは共感した事は、“世の中に正しい/間違いはない”という事です。個々人が自分の人生において、何をどうしたいのかによって、全てが決まってくる。言い換えると、私はこうしたい、こう生きたい、だからこれを選ぶという生き方があるだけです。そこには、良いも悪いも、また正しいも間違いもない、という事を改めて感じました。だから人生は、個々人が自分の源に立ち返って(本当の自分)、そこから自分の人生の進路を決めて選んで体験していく。その積み重ねが豊かな人生を創っていくのではないかな、と感じています。
2.今月のテーマ:「神と私達との関係」を読み終わった後の感想や質疑応答。
質問1:もし神と対等な存在なら、すべては、あなたによって創造された事になる。もう被害者も悪人もいない。ただ、物事に対するあなたの考えの結果があるだけだ。そのとおり。あなたが世界で見るものはすべて、あなたの考えの結果だ(@P.104)。
 この“あなたが世界で見るものはすべて、あなたの考えの結果だ”という具体的な意味はなんでしょうか? 例えば、携帯電話はあなたの技術の結果だ、と言えば分かるんですが。
Aさん:全てが思考だと言われています。技術という形で作られた携帯電話の基は、私達の思考・考えだと思います。
Bさん:最初に私達が携帯を欲しい、と望んだ。その思いや考えが、技術という進歩を通した結果、携帯が生まれたのだと思います。
Cさん:思いとか意識が最初にあって、結果として物が現象化する。そして、この考えの大本にあるのが、純粋な思考エネルギーだと思います。つまりその神のエネルギーを利用して、私達は様々のものを創っていると思います(全ての物質はエネルギーから出来ている)。
Dさん:あなたとは、個々人の考えだと思います。その個々人の見方によって、物事はそれぞれ違って見える。言い換えると、個々人の見方・考え方・視点によって世界は違って映る、あるいは思考が物事の見方を変える、という意味だと思います。
Eさん:神は自由自在な創造エネルギーであり、それが、私達一人ひとりの意識・見方によって色付けされる。言い換えると、十人十色の見方・解釈・考え方ができ、それに応じた結果が現れる、という意味ではないでしょうか。
Aさん:全ての物事を、個人の考えで決めてきたわけではないと思います。顕在意識で決めている事、潜在意識で考えている事等を含めて、広い意味で結果に導く基にあるのは、あなた方の観念・思考・考え・意識だ、という事ではないでしょうか。
野川:Aさんの意見に賛成です。「神対」では、4つの意識を教えています。それは、顕在意識、潜在意識、超意識、そして超絶意識です。この内、潜在意識は、無意識にあるいは自動的に動いている意識(例えば呼吸の動き)。超意識は魂の意識(神の意識を個別的に受け継いでいる意識)、超絶意識(神と同レベルの意識、イエスや釈迦のレベル)です。通常、私達はこの3つの意識を、顕在意識ではなかなか捉える事が出来ません。さらに集合意識もあります。今地球を覆っている意識、例えば分離意識、優劣意識、適者生存意識(優勝劣敗)、不足意識等が存在し、私達は日々の生活の中で、無意識の内にこの影響を受けていると思います。だから、自分の人生を意図的に生きる、という事が大切になってくると思います。
Fさん:少し話が大きくなっていますが、私はもっと単純に捉え、考え方が経験を変える、と考えています。例えば、これから取引先を回らなければいけないビジネスマンにとっては、今日の天気は厳しくて暑すぎる。一方、海に向かっている家族、特にこれから泳ごうと思っている子供達には、今日の天気は楽しくて心地よい暑さになる。このように、思考が現状を変えると思います。
質問2:あなたはいったいどういう神なんですか?  最高の神だよ。唯一の神だ。あなた方に自由意志を与え、決してそこに介入しない神だ。 私達自身から、私達を救う為でも、ですか?  もしあなた方自身からあなた方を救ったら、あなた方は「あなた方自身」ではなくなって、わたしの奴隷にすぎなくなる。あなた方の自由意志はなくなる。-----。
 それでいいんじゃないですか。私達が自滅するのを止めてくれるはずです。私達にとって最善の事をしてくれるはずです。  それはいったい誰の評価、誰の定義なんだね(明日の神、P.18〜19))?
 実際のところ、誰が、これは本物の教え、神からのメッセージ、真実なる書物、と決めるのでしょうか?それは例えば、ローマ法王、啓示を受けた宗教家、歴史家、哲学者、神学者、聖書、聖典等でしょうか?しかしどの教義、何が決め手,そして何が基準となるのでしょうか?
Aさん:誰が決めるのかについて言えば、私は単純に全員だと思います。でもその全員は一人ひとり考えが違うので、行き着くところは、一人ひとりが評価するしかないのではないかと思います。
Bさん:自分自身の選択が前提になると思います。それから、これが本物、あれが偽物と区別して決める事自体がおかしい、と私は思います。自分の真実として意見を述べるという、全て自己責任になると思います。他人の誰かを責めるのではなく、またその必要もないと思います。
Cさん:ニールさん(私達を代表している)の質問は、物事の全てを神にお任せする姿勢。私達の考えや努力を放り投げ、神に全てを委託する態度。その依頼心が良くないと思います。私達の人生は何かに依存して生きていくのではなく、全てを自分が選択しながら良い人生、在りたい自分、望む自分の人生を創っていく、というように考えています。
 もう一つ、質問の中の「最善」についてですが、一概には言えないと思います。長く人生を送っていれば、時に最善と思えた事柄が、後に最悪になるケースがあるし、勿論その逆バージョンもあります。だから何が最善かに意識を向けるよりも、その時点で良いと思う事を行動に移し経験し、感じてみる。その結果が仮に自分が望むものと違っていれば、それは自分にとって大きな学びのチャンスとなる。そして速やかに別の方向に変えていけばいい。そうすれば、やがて最善に近づいていけると思います。だからここで言っている「最善」という定義はない、と私は思います。
野川:質問2に加えて、別の角度から質問を皆さんにしてみたいと思います。以下の文章を参考にして下さい。
“あなた方を指針なしに放り出しもしないし、今後も決してそんな事はない。あなた方の中に、わが家へ戻る為の指針のシステムが組み込まれている。そのシステムとは、常に最高の選択肢を語りかける声であり、最も偉大なヴィジョンを教える声だ。あなた方はその声に耳を傾け、ヴィジョンを捨てずにいればいい(BP.310)。”
 従来は総体的に、“神は私達の外に在る”が主な教えでした。ところで今のスピリチュアルの流れは総体的に“神は私達の内に在る”と教えています。この事を念頭に置きながら今の世の中を見てみると、連日のように不正、不正直、そして不誠実が、政治や経済界で蔓延しています。さらに、知識、学歴、そしてお金優先の社会構成が出来上がり、また宗教やイデオロギーの対立から、至る所で衝突、混乱、そして紛争が絶えない状況です。これが、従来の教えに従って私達が創ってきた社会です。私達が望んでいる社会とはとても言えません。
 さてここで、上記の文面に、神は私達に“内なる声に耳を傾けなさい”と勧めています。さらにこの神は、“内側に在る神を見つける指針を与えてある”とも助言しています。ではその指針とは、具体的にどんなものなのでしょうか?
Dさん:よく、自我の勝手な考えと内なる高次意識とを区別しなさい、と言われます。それが出来る人は、その方法を取ればいいと思います。ただその前段階の人にとっては、意識進化の過程で、試行錯誤は経験値として必要なステップだと思います。この場合、その人にとってその時点で良いと思える事を体験してみる事が大切かなと思います。それが、その人にとっての最善な選択だと思います。
Eさん:「神対」や他のスピリチュアル系の本を読み勉強している個々人が、自分自身にとっての最善を決め、自分自身を定義するしかない。言い換えると、普遍的な最善なんてものはなく、あるのはその人にとっての最善、その人にとっての定義しかないと思います。
Fさん:私にとっての指針とは、純粋な気持ちを持った上での、直感かなと思いました。その直感がひょっとして間違っているかも知れない。しかし自分自身を磨き深めていくという向上心を持ち続けていれば、その直感は、自分の進化・発展の役に立つし、世界の進化にも役立つのではないかと考えています。
野川:Fさんの考えに賛成です。指針の一つは、直感、閃き(考える前の純粋な思考・感情)・第六感、魂の声(神性・仏性・良心)だと思います。私が感じる直感とは、後悔しない、損得も入らない、そして心地良い、楽しい、ワクワクする感情です。自分の直感を信じて経験し、感じてみる。その結果が心地良ければ受け入れるし、良くなければ次の選択をし経験し、感じてみる。その積み重ねで、少しずつ直感力が高まる。直感力は、筋肉みたいなもので、使えば使うほど磨きがかかる、とも指摘されています。
その他にも、最も深い感情に最も高い真実が伴うとか、最高の考えには喜びが伴う等も、思い出す「神対」のフレーズです。さらに大自然を前にして、あまりの美しさに身体全体で感動している感覚、これは、身体の細胞が教えてくれる、あるいは遺伝子が記憶している、とも言えるでしょう。
さらに身体を最高に保っていれば、食べ物の上に手をかざしただけで、自分の身体がこの食べ物を欲しているかどうかを教えてくれる、ともアドバイスされています(「神とひとつになる事」P.23)。少し神秘的な話に聞こえるかも知れません。しかし私達には無限の力が与えられている、と神は言っています。何故なら、“私達は神に似せて神をかたどって創られている”からです。この意味は、私達は、神と同じ資質・能力を授かっている、という事だと思います。
さて以下は、私の気の付いた範囲での、神の指針に関する「神対シリーズ本」からの抜粋編です。
わたしは、言葉以外でもコミュニケートする。それどころか、言葉はめったに使わない。一番多いのは、感情を通じたコミュニケートだ。感情は、魂の言語だ。何かについて、自分にとっての真実を知りたいと思った時には、自分がどう感じるかを探ってみれば言い。
 感情というものは、なかなか見つからない。自覚するのはさらに難しい。だが、最も深い感情の中に、最も高い真実が隠されている。
 わたしは、コミュニケーションの手段に思考も使う。思考と感情は同じではないが、同時に生まれる事がある。思考を通じたコミュニケーションには、イメージや画像が使われる。だから、単なる言葉よりも思考の方が、コミュニケーションの道具としては効果的だ。
 感情と思考の他にもう一つ、経験という、偉大なコミュニケーション手段がある。感情と思考と経験の全てが失敗した時、最後に言葉が使われる。言葉は最も曲解されやすいし、誤解されやすい。それは、言葉の性質の為だ。言葉は、ただの音にすぎない。感情や思考や経験の代用だ。シンボル、サイン、しるしでしかない。真実ではない。本物ではない。
 あなた方は物事を、経験によって知る事が出来る。しかしで経験出来ない事もある。だからわたしは、知る為のほかの手段を与えた。それが感情と呼ばれるものであり、思考と呼ばれるものである。皮肉な事に、あなた方は神の言葉ばかりを重視し、経験をないがしろにしている。
 経験をないがしろにしているから、神を経験しても、それが神について教えられている事と違うと、たちまち経験を捨てて言葉の方を取る。本当は逆であるべきなのだ。経験や感情によって、人は直感的に知る。
わたしのメッセージは常に、あなたの最高の考え、最も曇りのない言葉、最も偉大な感情である。それ以外は、別の源から生じている。そう考えれば、簡単に区別出来るだろう。どんな未熟でも、一番気高く、曇りがなく、偉大なものは、直ぐに分かるからだ。
 だが念の為に、もう一つ指針を与えよう。最高の考えには、必ず喜びがある。曇りのない言葉には、真実が含まれている。最も偉大な感情、それは、愛である。喜び、真実、愛。違いを見分ける指針がはっきりすれば、後は私のメッセージに耳を傾けるかどうか、それだけだ。
 わたしからの一番の力強いメッセージは、経験だ。ところがあなた達は、特に、経験を無視する。あなた方は、経験に耳を傾けさえすれば、世界は今のようではなかったはずだ。-----本気で耳を傾ければ、必ず聞こえるはずだ(@P.15〜18)。
私が教えられた神についての真実は、あなたからきたものでしょう。  誰がそう言ったのか?  指導者達、聖職者達、ラビ達、僧侶達、本、それに聖書、そうだ、聖書です!  それは、権威のある証拠ではない。  それでは、何が権威ある証拠ですか? 
 自分の感情に耳を澄ます事だ。自分の最高の考えに、耳を傾けなさい。自分の経験に、耳を傾けなさい。そのどれかが、教師に教えられた事や本で読んでいた事と違っていたら、言葉の方を忘れなさい。言葉は、真実の伝達手段として、一番当てにならない(@P.21〜22)。
その為には、善意ではなるが、間違った教師達の教えを退け、別の種類の智恵を持った人達の教えに、耳を傾けなければいけない。そういう優れた教師は、昔も今も沢山いる。しかし、一番偉大な教師は、外にいる者ではなく、あなた方の心の声である。それが、わたしが使う第一の道具だ。
 あなた方の心の声は、わたしの一番大きな声だ。何故なら、あなた方に一番身近な声だから。心の声は全てについて、あなた方の言葉で言えば、真実か偽りか、正しいか間違っているか、良いか悪いかを教えてくれる(@P.35〜36)。
わたしは、この本だけを通して語っているのではない。あなたの魂の真実の中に、わたしの声を聴きなさい。正直な気持ちの中に、わたしの声を聴きなさい。精神の静けさの中に、わたしの声を聴きなさい(@P.286)。
そこで、私の手は凍りついた。背筋がぞくっとした。身体の中が、かっと熱くなった。こういう経験は、「神との対話」を書いている時にはよくあった。いくつかの言葉、いくつかの文章がふいに心に浮かぶ。それを紙に記して、突然に「そうなんだ」と気付く。数分前には、「そう」だなんて、夢にも思わなかったのに。
身体がぞくぞくするというか、震えが走るというか、嬉し涙が溢れるというか。時には三つがいっぺんに起こった。この時もそうだった。いっぺんに三つの兆候だ。それで、今書いた事が、絶対的な真実だと知った(神との友情・上、P.29〜30)。
人生で一番重要な言葉の多くは、直感的だ。何故真実かが分かる前に、とにかく真実だと分かる。(直感は、)証拠や証明や理屈や理由等といった、真実かどうかを、従って重要かどうかを決定する時に使う道具を超えた、深い理解から生じる。時には響きだけで、重要だと分かる事がある。「真実の響き」があるからだ(神との友情・上、P.195〜196)。
この部屋の窓の外にある木を見てごらん。あの木は4メートル以上にもなって、大きな木陰をつくっているが、小さい苗だった頃以上に、何かを知っていたわけではない。今の姿になる為に必要だった情報は全て、種の中に含まれていた。何も学ぶ必要はなかった。
 ただ成長すればよかった。成長する為に、細胞の記憶の中に封じ込められていた情報を活用したのだ。あなただって、あの木と違いはしない。わたしは、「あなたが尋ねるより前に、答えを与えているだろう」と、言わなかったかな(神へ帰る、P.40)。
あなたは「他の道より特に良い道はない」とおっしゃる。どうすれば、その言葉が信じられますか?どうすれば、何を信じたらいいのか分かりますか?  どんな事があっても、ここで言われている事を信じてはいけない。  え、何とおっしゃいました?
 わたしが言う事を、一言だって信じてはいけない。わたしが言う事を聞いて、それから、あなたの心が真実だと告げる事を、信じなさい。あなたの心にこそ、智恵が存在し、あなたの心にこそ真実が宿り、あなたの心にこそ、神が住まって最も親密な交わりをしているのだから。
 わたしが求めるのは、ただ一つだ。 どんな事ですか?  どうか、心を頭と混同しないで欲しい。あなたの頭にあるのは、他人がそこに置いたもの。あなたの心に在るのが、あなたがたずさえている、わたしだ(神へ帰る、P.48〜49)。
以上が、神の指針に関する要約文です。「神対」の理解を深める為に役立てば、嬉しく思います。
<終わりに>
 今回も比較的大人数だった為、いつものレストランでは2つのグループに分かれ、みんなで会話を楽しんだ。初めて会うメンバーもいたので、より個人的な会話が交わされた。途中共有する内容で、意見や理解の食い違いも生じ、少し声高に議論する時もあったが、総じてわだかまりなく、和やかな雰囲気で、沢山の情報や体験を分かち合った。気が付けば、すっかり夜が更けていた。今夜も、良きひとときかな!      野川